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《高輪ゲートウェイ駅前開発》3年前は盛りあがった「高輪築堤」保存論争、このまま尻すぼみでよいのか

NEWSポストセブン / 2024年12月29日 7時15分

2024年12月8、9日に公開された高輪築堤の遺構(撮影:小川裕夫)

 品川の大規模再開発工事をすすめていた2019年、日本の鉄道の始まりの歴史を記す「高輪築堤」が見つかった。地権者であるJR東日本は保存に後ろ向きだったが、三代目歌川広重の錦絵に残る、東京湾の漁場へ向かう船の上を蒸気機関車の様子が現実にあったと世間は沸き立ち、政治も動いて一部の保存が決まった。その高輪築堤は別の個所が発見されたり、今後も新たに見つかる可能性が高いが、保存や保護に対する議論は残念ながら低調になりつつある。ライターの小川裕夫氏が、新たに発掘調査と一般公開が行われたことをきっかけに、高輪築堤の今後についてレポートする。

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 2024年12月8、9日に東京・港区の高輪ゲートウェイ駅前で進められていた高輪築堤の発掘現場が一般公開された。

 高輪築堤は1872年に国内最初の路線となる新橋(後の汐留)駅―横浜(現・桜木町)駅間の開業時に東京湾の浅瀬に建設されたもので、線路付け替えや品川車両基地などで使われなることによって姿を消していた。ところが、2020年に山手線の新駅を建設するための工事を実施した際に石垣の一部が発見され、歴史に埋もれていた高輪築堤が残存している可能性があることから港区とJR東日本が調査を開始。その調査で高輪築堤の遺構が確認される。

 新駅は高輪ゲートウェイ駅と命名されて2020年に開業したが、その後も発掘と調査は続けられた。出土した遺構は菅義偉首相(当時)も視察し、歴史的にも価値があるとしてできるだけ保存するように指示。菅首相の指示を受けて、高輪築堤の一部が国指定史跡となった。

 高輪築堤の一部は現地保存されることになったが、大部分は記録保存・移設保存となった。そして、2025年3月に一帯はTAKANAWA GATEWAY CITYとして、まちびらきする予定でプロジェクトが進んでいる。

「事業地内は南北に約1.3キロメートルありますが、そのうち第1期の事業地内からは900メートル弱の遺構が残存していることを確認しています。そのため、港区は2021年に高輪築堤を現地保存するように要望書を提出しました」と説明するのは、港区教育委員会事務局推進部図書文化財の担当者だ。

 港区のほか歴史・鉄道関連の学会も現地保存を呼びかけたが、JR東日本は第2街区と第3街区から出土した遺構の一部を現地保存、第4街区の信号機台部と思われる石垣に関しては移築保存という結論に至っている。

第1期工事前との遺構保存への熱意の違い

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