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《三船美佳が語る恩人・神田正輝の素顔》「気にしないで自由にやるよ」番組卒業後も続く交流、人生の転機となった『旅サラダ』で大阪移住の今

NEWSポストセブン / 2025年1月3日 16時12分

 私も14年近く出演させていただきましたから、毎週、放送している大阪のテレビ局・朝日放送のスタジオへと東京から通っていたときは、土曜日の放送に合わせて、「前乗りで金曜には大阪へ来て土曜日に帰京する」そんな生活を続けていました。体調管理も考慮すると、週の半分くらいは『旅サラダ』のことを考えて過ごしていました。だから、卒業させていただいてしばらくは、「こんなに自由な時間ができるんだ!」と驚いたくらいでした。

 個人的には出演している途中の2013年に東京から大阪へ移住してきたのですが、当時、パニック障害やPTSD(心的外傷後ストレス障害)などが起きてつらいときだったので、私にとって『旅サラダ』は“ここにいれば大丈夫だ”って支えてもらっているような、心の安定剤みたいな現場でした。

 出演者は東京からいらっしゃる方が多いのですが、制作スタッフの方は地元の大阪の方が多く、番組外でもスタッフさんと遊ぶことが多くなりました。「お茶行こうよ」「ご飯行こうよ」「コストコ行こうか」って。スタッフさんの家に集まったりも。今でも、そんな交流を続けています。

 ロケの思い出もいっぱいあります。本当に、体を張った体験をたくさんさせていただきました。全国のありとあらゆる土地を訪れて、いろんな体験をさせていただきました。

 たとえば、日本一高いバンジージャンプの「岐阜バンジー」(高さ215メートル)。プライベートでやりたいという人が信じられないくらい、私はバンジーが苦手。なのに、私が飛ばないと、ロケが成り立たないから飛ぶしかなかったんです。

 下を見なければ飛べるかな、と思って下を見ずに上ばかり見ていたら、ディレクターさんが「美佳さん、ちょっと下見てもらっていいですか? 下はどんな景色が広がっていますか?」って! もう、死ぬ思いで下を見て、最後に身を投げ出しました。人間ってそこまでの経験をすると、逆にこれまで自分が悩んでいたことなんてちっぽけだなーってさえ思えましたね(笑)。

 あと、スノーボードの体験。『旅サラダ』で初めてゲレンデに行って体験したのが楽しくて、今も家族で毎年雪山に通っています。人との出会いもたくさんありました。『旅サラダ』のロケ先で出会った方と連絡をとりあうようになり、この夏、“令和の米不足”でスーパーからお米が消えたときには、お米を送っていただきました。

 そもそも、『旅サラダ』のお仕事があったからこそ、大阪へ移住することになりましたし、『旅サラダ』は私の歩んできた人生、ライフスタイルに密着し、本当に大きな転機を与えてくれた番組でしたね。

(第2回に続く)

取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/小林忠春

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