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《三船美佳が振り返る14歳でデビュー》優しい父・三船敏郎が人生で一度だけ激怒した日「当時の私はいじめに悩み、夢や希望も持てずにいました」

NEWSポストセブン / 2025年1月4日 10時58分

 私のデビューは14歳のとき。「明治ブルガリアヨーグルト」のCMで、原辰徳さん(66、現・読売巨人軍特別球団顧問)と共演させていただきました。当時の私は、学校でのいじめに悩み、将来の夢や希望を持てずにいました。ストレスで身体がこわばっていたのか、手足が冷たく末端冷え性で。そんな私が突然、大人のプロフェッショナルの集まるCM撮影の現場でメイクや髪をセットしていただき、カメラや照明の前に立ち、「じゃあ本番いきます!」ってカウントダウンが始まって……当時はフィルム撮影だったので、カラカラとフィルムが回る音を聞いた瞬間、頭に稲妻が走るような衝撃を受けたんです。

 全身に鳥肌がたって、手足のつま先までビーンと血がめぐって。初めて、俳優・三船敏郎のDNAを自分の中に感じた瞬間でした。そのとき、こういう現場で作品を作るお仕事を続けていきたい、と思ったんです。その初心を忘れまい、とやってきました。

 以前は女優のお仕事もいろいろさせていただいたんですよ。15歳で初主演した映画『友情 Friendship』では日本アカデミー賞新人俳優賞もいただきました。父が“世界のミフネ”といわれた三船敏郎ですから期待値が高いだろう、と最初はプレッシャーもありました。ところが、私は娘なので、あまり比較はされなかったんです。もし私が父と同性の息子だったら大変だったでしょう。私はどの現場でも、みなさんが私の大好きな父との撮影の思い出や、私の知らない父の顔を語ってくださり、私を温かい目で育ててくださったと感じています。本当に私は幸せ者です。

 それぞれの方にそれぞれの三船敏郎があるように、私にとって父は、いつも目尻を垂れた、本当に優しいパパでした。大声で怒られたことはたった一度だけ。どこかのレストランに入ったとき、私がスープを飲んだら「音をたてて飲むものじゃない!」って。レストラン中がシーンと静まり、私は目を見開いて固まってしまって……。そうしたら、父はばつが悪かったのか、照れ隠しなのか、慌てておどけたようにズルズル音をたててスープをすすって、場を和ませてくれたんですよ(笑)。

 幼い頃は父が俳優だとは知りませんでした。当時は撮影所の近くに住んでいたので、朝、家を出た父が、侍の衣装のままお昼を食べに帰宅したりしていたので、「父の職業は侍で、警察の部署のひとつで、悪い人をやっつけるお仕事なんだ」と思っていました(笑)。年齢が上がるにつれ、俳優だと理解するようになり、父の作品もできるかぎり観てきましたが、残念ながら父と作品を一緒に観たことはありません。

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