雅子さま、皇后になられて初めて迎える阪神・淡路大震災追悼式典に出席 “水仙の花を手向けた”美智子さまから受け継がれる被災地訪問への思い
NEWSポストセブン / 2025年1月17日 11時15分
雅子さまが被災地となった神戸を初めて訪問されたのは1995年2月のこと。翌3月にも神戸、尼崎、宝塚各市での合同慰霊祭に出席され、さらに宝塚市と淡路島の避難所を訪れた。
「すっかり変わり果てた街の様子を目の当たりにし、雅子さまは沈痛な面持ちを浮かべられました。避難所で被災した少女から似顔絵をもらった雅子さまが、後にお礼の手紙を送られたという交流も生まれました」(前出・皇室記者)
翌1996年の追悼式典にも出席された雅子さまだが、その後次第に体調を崩され、出席される公務も限定的になっていく。そんななか、2010年に行われた追悼式典が、雅子さまにとって宿泊を伴う2年ぶりの公務となった。
「ぎりぎりまで調整が重ねられ、雅子さまの出席が発表されたのは、出発の前日でした。式典では、小学生たちの合唱に涙を拭われた場面もありました。犠牲者や遺族へのお気持ちの強さが、ご自身の体調の不安を上回ったのでしょう。今回は皇后になられてから初めて迎える追悼式典ですので、ご出席にかける思いもより強いのではないでしょうか」(前出・皇室記者)
バスの車内で立ち上がって激励
困難な状況にある人の元へ駆けつけ、思いを同じくする──これは、美智子さまから受け継がれたものだ。
「国民と直接交流する被災地訪問は、皇后にとって最も重要な公務のひとつです。美智子さまも何度も神戸に足を運ばれています」(皇室ジャーナリスト)
最初のご訪問は1995年1月末のこと。火事で焼け野原となった菅原市場(長田区)を訪問された美智子さまは、がれきの上に、皇居に咲いていた17本の水仙でお作りになった花束を手向けられた。海外では希望の象徴といわれる水仙は、被災者の心に希望の光をともした。花にまつわるエピソードはほかにもある。
「2005年の追悼式典で美智子さまは、東灘区のがれきの山の上に一面の花を咲かせて『復興のシンボルフラワー』と呼ばれたひまわりの種を持ち帰られました。その種は皇居でも芽を出し、大きく花を開かせました。
その話を美智子さまから聞かれていたのでしょう、2010年に神戸を訪問された雅子さまは、美智子さまに種を渡した女性に『大事に育てさせてもらっています』とお礼を述べられたそうです。美智子さまと雅子さまは、被災地訪問への思いや経験をも共有されているのです」(前出・皇室記者)
昨年12月、能登半島地震の被災地を訪問された雅子さまの振る舞いが、美智子さまのなさりようを彷彿とさせた場面もあった。
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