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「破天荒」「無頼派」を演じてきた玉袋筋太郎、「老害にはなりたくない」 なぜ、“本能のままに生きない”ことが大切なのか

NEWSポストセブン / 2025年2月3日 10時59分

 だけど、「ひとりの50代の男」としては、「身勝手に生きない」ということを目標にしたい。

 それこそさ、昭和の時代には、「偏屈ジジイ」とか、「頑固親父」がたくさんいて、煙たい存在ではあったけれど、それはそれでためになることもあったし、懐かしい思い出もたくさんある。

 だけどいま現在、いわゆる「老害」と呼ばれるおっさんたちを見ていると、あまりにも身勝手過ぎて「ああはなりたくねぇ」と感じることが多いよな。

 そこでオレも考えたよ。「これからは、身勝手に生きるべきか、それともおとなしく謙虚に生きるべきか?」って。

 そこでようやく、「芸人としてはもう少し身勝手に、一社会人としては謙虚に」という結論を得た。

 オレ自身の半生を振り返ってみると、40代までは好き勝手に生きてきた。博士と一緒に「これがお笑いなんだ!」という根拠のないプライドを持って、浅草キッドの漫才をひたすら追求してきた。

「漫才で天下を獲ったぜ」と胸を張っていえるわけでもないし、「別にそんなに売れなくてもいいよ」という開き直りがどこかにあったともいえる。それでも、「自分たちの目指しているものに間違いはない」という、そんな揺るぎない自信だけは持っていた。

 かつての自分を否定することはしないよ。だけど、「もう少し柔軟性があってもよかったのかな?」と反省することがある。「もっと人の意見に耳を傾けてもよかったのかもしれないな」ってね。

 そうしていれば、いまとは違う現実が訪れていたかもしれない。そんなことをいってもはじまらないよな。

 還暦もはっきりと視界に入ってきた年齢だからさ、年を重ねていく過程で、どんどん偏屈になったり、傲慢になったりしたら、「これからはますます孤立していくんじゃないのかな」っていう恐れはあるよ、正直さ。

 孤独は怖くないけれど、孤立はよくない―─。

 仕事でもプライベートでも、孤高の人であることはカッコいいし憧れるよな? でも、孤立してしまった人間は、本当にさみしい存在になっちまう。だからやっぱり、身勝手に生きて孤立しちゃダメなんだよ。

 これはオレの元々の性格もあるのだけど、なにも制約がないなかで好き勝手にふるまうような人間をオレは信用しないようにしている。

 日本国憲法の「権利と義務」の話じゃないけど、しっかり税金を納めて、それではじめて自分の権利を訴えたり、行使したりできるものだよな? それはもう人生そのままの話で、常になんらかのテンションをかけていないと、単なる野放図で真の意味での身勝手野郎になりかねない。

 自由だけを味わって、なんの苦労も我慢もしないというのは、オレからするとどうしてもズルをしている感覚になってしまう。それにさ、自分で自分にある程度の負荷をかけることで、いざ目標を達成したときに、その喜びは何倍にもなって返ってくる。

 めちゃくちゃ空腹のときにはなにを食べても美味しいし、サウナに入って喉がカラカラの状態で呑むビールは普段の何倍も美味しく感じられる。

 要はそういうこと。

 ある程度は分別がつく年齢になったからこそ、ここはあえて「身勝手に生きない」という道を選択したい。

「武士は食わねど高楊枝」じゃないけどさ、若い頃とは違って、あえて本能のままに生きないことでその喜びを倍増させる。それこそ、美しく枯れていくことを目指しているオレたちには大切なことだと思うんだ。

(了。第1回を読む)

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