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天皇皇后両陛下、4月に硫黄島へ 悲劇が歴史の影に隠れることを憂い訪問を希望、雅子さまの体調不安もあるなか“日帰り”の強行スケジュールに

NEWSポストセブン / 2025年2月2日 7時15分

硫黄島に足を運ばれることになった雅子さま(2025年1月、東京・台東区。撮影/JMPA)

 雅子さまが、先の大戦中に悲劇に見舞われた場所に足を運ばれることになった。戦後80年という長い時間が過ぎ、多くの人の「戦争の記憶」が薄れていくなかで、雅子さまの心には常に慰霊のお気持ちが留められている。

 東京都心から海を越えて1200km以上──同じ東京都でありながら、民間人が容易に足を踏み入れられないのが、小笠原諸島南部にある「硫黄島」だ。明治時代に入植し、約1100人の島民が懸命に築いた生活の営みは、太平洋戦争末期に崩れ去った。以来、硫黄島は自衛隊の管理下にあり、年に数回の訪島事業が行われているのみだ。今年4月、その隔絶された島に、天皇皇后両陛下が降り立たれる。

 両陛下は1月27日、国立西洋美術館(東京・台東区)で企画展『モネ 睡蓮のとき』をご覧になった。モネはフランスを代表する印象派の画家だ。

「事前段階では陛下おひとりでのご訪問予定でしたが、当日は雅子さまに加え、愛子さまも同行され、ご一家でのお出ましとなりました。ご見学中、両陛下が指定の立ち位置とは異なる場所で立ち止まられるハプニングがありましたが、愛子さまが陛下にそっと手を添えられて、立ち位置の修正を促されるシーンがありました。公務の場でも、冷静で周囲をよく観察されている愛子さまに、雅子さまも心強いお気持ちを抱かれたでしょう」(皇室記者)

 その3日前の1月24日にも、ご一家で皇宮警察本部の年頭視閲式に出席された。昨年4月、愛子さまは日本赤十字社に就職され、以来、平日はほぼ毎日出社されてきた。

「就職から間もなく1年で、仕事と公務のバランスをつかみかけられている頃でしょう。今後、ご一家ではもちろん、愛子さま単独のご公務も増えていくと思います」(前出・皇室記者)

 明るい兆しのなか、雅子さまは多忙な2025年を過ごされることになりそうだ。宮中行事や四大行幸啓をはじめ、今年は4~10月に大阪・関西万博が開催される。名誉総裁は秋篠宮さまだが、1970年の大阪万博に昭和天皇と香淳皇后が複数回足を運んだように、両陛下も「世界のいま」をご見学になるだろう。会期中に訪日する海外賓客の接遇も、両陛下の重要な務めだ。何より今年は、戦後80年の節目の年である。

「両陛下は戦後生まれではありますが、戦争、そして平和への非常に高い関心をお持ちです。特に陛下は、幼い頃から昭和天皇や上皇さまの慰霊の姿を目の当たりにし、当然のことながらいろいろな話も直接聞いていらっしゃいます。そうした慰霊への強い責任感は、雅子さまにも共有されています。今年はおふたりで9月に長崎を訪問されることが検討されています。また、時期は未定ながら広島と沖縄訪問の調整が進められています」(皇室ジャーナリスト)

 さらに1月23日、両陛下が今年4月に硫黄島を訪問される予定であることが報じられた。

米軍の艦砲射撃で山の形が変わった

 小笠原諸島最大の硫黄島は亜熱帯気候に属し、冒頭のように「日本人の日常」とは切り離された場所だ。本州の都心部と、グアム島のほぼ中間地点にある硫黄島は、戦時下では日本にとって本土防衛の要衝であったと同時に、米軍にとっては本土上陸の足がかりだったため、激戦地になった。

 戦争末期の1945年2月に米兵が上陸してから5週間の間に、日本兵約2万1900人が犠牲になり、島に残って軍の手伝いをさせられた島民93人も命を落とした。米兵も約6800人が死亡した。死者のうち約1万人は、遺骨が回収されないまま彼の地に眠っているとされる。島のシンボルだった摺鉢山は、米軍の艦砲射撃によって形が変わってしまうほどだった。

 激しい戦禍に見舞われた硫黄島には、島外からの定期便は存在せず、観光目的の民間人は立ち入れない。旧島民の訪問が、訪島事業、墓参り、遺骨収集などで許されるのみだ。そのため、多くの人の戦争の記憶からこぼれ落ちそうになっているのが現状なのだ。

「ただでさえ、年を追うごとに戦前生まれの人は減り、戦争体験の語部は限られています。平和を希求される両陛下は、硫黄島で起きた悲劇が歴史の陰に隠れてしまうことを憂い、硫黄島訪問を希望されたといいます」(宮内庁関係者)

 陛下は一昨年の誕生日会見で、硫黄島について次のように言及された。

「大変悲惨な戦闘が行われ、また多くの方が亡くなられたことを、私も本当に残念に思っておりますし、このような硫黄島も含めて、日本各地でさまざまな形で多くの人々が亡くなられている。こういった戦争中の歴史についても、私自身、今後ともやはりいろいろと理解を深めていきたいというように思っております」

 硫黄島へは1994年に、上皇ご夫妻が慰霊のため足を運ばれた。戦後50年を翌年に控えるタイミングだった。

「平成時代の“慰霊の旅”の一環でした。硫黄島に降り立たれた上皇ご夫妻は、灼熱と水不足で苦しんだ犠牲者のため、柄杓で慰霊碑に献水されました」(別の皇室記者)

 だが、検討されている両陛下のご訪問は、その上皇ご夫妻の訪問時とは大きな違いがある。

「上皇ご夫妻は、硫黄島訪問の後に、小笠原諸島の父島で2泊されました。一方、今回の両陛下のご訪問は、日帰りが検討されています。さまざまな公務やお出ましが控え、多忙が予想されるからでしょう。雅子さまのご体調への不安があるなかでも、日帰りという“強行スケジュール”が敷かれるのです」(前出・宮内庁関係者)

 皇居を出発された両陛下は、自衛隊機を使用して小笠原諸島へと向かわれる。具体的なルートはまだ定まっていないが、一般的な旅客機を使う普段の地方や海外訪問と異なり、不慣れな自衛隊機の負担は大きいだろう。

 いざ辿り着いた4月の硫黄島の最高気温の平均は25℃を超え、夏日の様相だ。その暑さのなかで祈りを捧げられた両陛下は、その日のうちにまた自衛隊機を使って皇居へと戻られる。1日で、空路およそ2500kmもの長距離移動だ。

「雅子さまが日帰りでも硫黄島訪問を望まれたのは、戦争の痛ましい記憶をいつまでも心にとどめたいというご覚悟からなのでしょう」(前出・宮内庁関係者)

 そのお気持ちは、犠牲者の魂にも、いまを生きる日本人の心にも、必ず届く。

※女性セブン2025年2月13日号

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