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追悼 阪神元監督・吉田義男さんが明かしていた思い「V9時代の巨人に勝てる気はしなかったが、監督として川上巨人を手本にチームづくりしたことはない」

NEWSポストセブン / 2025年2月5日 11時55分

1985年に監督として阪神を日本一に導いた吉田さん

 2月3日、阪神タイガースを監督として球団史上初の日本一に導いた吉田義男さんが亡くなった。91歳だった。吉田さんには拙著『巨人V9 50年目の真実』(小学館)の取材でインタビューに応じていただいた。

 現役時代の吉田さんは俊足巧打で好守を誇る遊撃手で、阪神の主力として巨人と対峙した。9年連続日本一(1965~1973年)を成し遂げた川上(哲治)巨人についてはその強さをこう認めていた。

「9連覇中の巨人は強かった。長嶋(茂雄)は“負ける気がしなかった”と言っていたが、こっちは“勝てる気がしなかった”ですわ(笑)。特に堀内(恒夫)がマウンドに立っていると、1点や2点のリードでは勝っている気にはなれませんでした。ランナーを進めようとすると、内野が猛ダッシュしてくる。攻撃時も相手の守備に攻められているようだった。絶対的に有利なはずの甲子園での攻撃中でもそんな感じなんです」

 吉田さんからは、巨人V9の裏話をたっぷりお話しいただいた。巨人の選手は選球眼が良くて四球を選ぶため打線がつながると話した吉田さんは、「もうひとつ厄介なのが審判でした」と苦笑交じりにこう続けた。

「審判も人の子だから、迷った時は“王(貞治)や長嶋が見逃したならボールだ”と、彼らに有利な判定をしてしまう。いわゆる“王ボール”とか“長嶋ボール”というヤツですわ。当時の阪神には小山(正明)や村山(実)といった球界を代表する投手がいたが、彼らは揃って“ワシらは10人を相手に野球をやらなアカン”とこぼしていました。勝負の世界ではこれも実力のうちですから仕方ありまへん」

王貞治の本塁打阻止のため、藤本監督から受けた「指令」

 当時は甲子園といえども巨人戦以外は満員にならなかったという。巨人戦の注目度の高さについてはこんな言い方をしていた。

「満員のスタンドの巨人戦ではみんながハッスルするので、巨人戦のあとは疲れますねん。今は全試合満員なのでそうじゃないが、巨人とは互角のゲームをしても、その次のカードはボロボロだった。監督が巨人戦にローテを合わせなくても、村山や江夏(豊)のように巨人を目の敵にして投げていた投手がいましたからね」

 巨人に対する作戦を聞くと、「強いていえば、後楽園球場での巨人戦で藤本(定義)監督からこんな指令を受けたことがある。デビュー当時の王は“三振王”と野次られていたが、1本足にしてから本塁打を量産するようになった。それを阻止するために、ショートを守っているボクに“二塁ベースの上に立て。守らなくていいから、投手の真後ろで両手を振り回して王の目をくらませろ”と。実際にはやらなかったが、それでも王は打ったと思う。それぐらい強い巨人への策はなかった」とも話していた。

監督として大切にした「ミスしたらまた大事な場面で使う」という信念

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