元陸軍兵「自分の脚を切断する時、のこぎりの音が聞こえた」

NEWSポストセブン / 2013年9月17日 16時0分

 終戦から68年が過ぎ、戦後生まれが1億人を超え、総人口の8割近くに達している。太平洋戦争を直接知る者は年々減り、当時の実態を証言できる者は限られてきた。今でこそ、あの大戦を振り返るべく、元日本軍兵士たちの“最後の証言”を聞いてみた。

証言者:内貴直次(92) 元陸軍歩兵第224連隊
 大正10年生まれ。甲種幹部候補生に合格、昭和18年6月に歩兵第224連隊へ配属。12月少尉任官。昭和19年1月、ニューギニアのサルミ上陸。終戦後、捕虜となり、昭和21年6月、復員。

 * * *
 西部ニューギニアのマッフィン湾岸にある「入江山」は、彼我攻防の第一線だった。昭和19年6月、私たち歩兵第224連隊は米軍の猛攻にさらされていた。ともかく敵は我が陣地にやたらと弾を撃ち込んでくる。前方からは銃弾、頭上からは砲弾、耳をつんざくような銃砲声である。

 私はこの入江山を死に場所と定めた。これから総攻撃だ。そう思うと、飛び交う弾丸も不思議と怖くなくなった。そして、ふと頭上に炸裂した迫撃弾を見上げた、その瞬間だった。破片が私の左足を砕いた。あっという間の出来事、感覚はまったくなかった。骨は砕け、飛び出した血管が土の中に埋もれていた。

「内貴少尉がやられた」

 軍医が駆け寄ってきて衛生兵と共に手当てをしてくれた。といっても、骨や肉片を拾い集めて包帯で縛るだけだ。木の枝で造った担架に乗せられそうになって、私は必死に抵抗した。敵前で小隊長が退くわけにはいかないからだ。ここを死に場所と決めたのだ。後退する必要などなかった。

「俺は下がらないぞ!」

 敵弾が飛び交う中で叫んだ。軍医は「何を言うか!」と無理やり兵に命じて私を担架に乗せた。俺は下がらないとまた叫んだが、身体は後方へ運ばれていった。悔しさのあまり涙が出た。

 かくして私は戦線を離れて連隊の衛生隊に入れられた。そこはまさに地獄の一丁目だった。傷ついた将兵たちの呻き声に満ち、身体中をウジ虫にたかられ「痛い、痛い」とのたうちまわっている兵もいた。十分な治療など受けられなかった。絶望し、手榴弾で自決する者もいた。

 一週間後、ガス壊疽のため脚を切断することになった。局部麻酔で、自分の脚を切るのこぎりの音が聞こえた。軍医が神経を引き出して切ったときは、さすがに5~6人がかりで抑え込まなければならないほど暴れたらしい。そのときの記憶はほとんどない。私を看てくれていた和田鉄三君によると、彼の手を握っていた私の力があまりに強く、つぶれそうだったそうだ。

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