浅利慶太氏が語る岩谷時子さん「すぐれた才能持った女神」

NEWSポストセブン / 2013年11月12日 7時0分

「初めて会ったときも、終始穏やかな笑顔を浮かべて黙っていて、大事なときだけひと言発する。非常にナイーブな女性という印象でした」

 10月25日、作詞家の岩谷時子さん(享年97)が肺炎のために亡くなった。その岩谷さんと、長く盟友として、さまざまな舞台や名曲を生み出していくことになる浅利慶太劇団四季代表(80才)。ふたりが会ったのは1960年代半ばのことだった。

「お時さん(岩谷さん)のほうから“お会いしたい”と言ってこられました」(浅利氏・以下「」内同)

 岩谷さんは越路吹雪さん(享年56)と一緒で、越路さんが「浅利さんに舞台の演出をお願いしたい」と切り出した。話すのはもっぱら越路さんだったが、浅利氏に演出をゆだねたいというのは、先見の明ある名マネジャー岩谷さんの強い意志だった。

 そのとき、浅利氏は、「わかりました」と日生劇場で越路さんの舞台を手がけることを約束。1966年、浅利氏の演出で「越路吹雪リサイタル」が開かれる。このとき、越路さんの歌うシャンソンの訳詞を、浅利氏は岩谷さんに依頼する。

「訳詞はすぐにできあがってきましたが、見て驚きました。日本語なのに、フランス語の原文の香りが一切消えていない。しかも日本語としても極めて美しい。まいりましたね」

 こうして、越路さんの代表曲であり、現在も歌い継がれる『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』『サン・トワ・マミー』などのヒットが生まれた。岩谷さんとはいつしか、「お時さん」「慶太さん」と呼び合う、深い信頼感が生まれた。

 岩谷さんは作詞家として実にたくさんの作品を手掛けた。ザ・ピーナッツの『ウナ・セラ・ディ東京』『恋のバカンス』、加山雄三の『お嫁においで』『君といつまでも』、郷ひろみのデビュー曲『男の子女の子』から『裸のビーナス』『花とみつばち』など、枚挙にいとまがない。

 もちろん劇団四季の舞台作品でも、多くの詞を手掛けている。『ジーザス・クライスト=スーパースター』、『ウェストサイド物語』、『エビータ』などの海外作品から、現在も全国を巡演中の『はだかの王様』などのファミリーミュージカルやオリジナル作品、はては台詞劇の戯曲翻訳まで、活躍は幅広い。

「訳することも難しい文学的な作品から、大衆的な歌謡曲まで、その全てを格調ある日本語で紡いだ。すぐれた才能を持った“女神”でしたね。

 もしも郷ひろみが、他の作詞家の歌でデビューしていたら、今どうなっていただろう。ユーモラスだけどポエティック、お時さんの詞の力は大きかったですよ」

※女性セブン2013年11月21日号

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