田部井淳子「知らない世界を自分の目で見たいのが登る動機」

NEWSポストセブン / 2013年11月17日 7時0分

【著者に訊け】田部井淳子氏/『それでもわたしは山に登る』/文藝春秋/1470円

「白い山」に憧れて、田部井淳子氏は山岳会に入った。社会人1年目、22歳の時だ。

「それまでは春と夏と秋の山に友達と登るしかなくて、冬の山も一度、自分の目で見てみたかったんですね」

 そして1975年、彼女は世界最高峰エベレストに女性として世界初の登頂を果たす。私生活では3歳の娘を育てる35歳の母親だった。

 最新刊『それでもわたしは山に登る』は、その後も数々の極限状況で体得した“山の知恵”を、震災後の“生きる術”としてまとめる予定だった。が、執筆中の昨春、田部井氏は腹部に〈チクチクと針でさされたような痛み〉を覚え、講演先で検査の結果、腹水からがん細胞が見つかった。しかも範囲は骨盤に及び、医師は余命3か月を宣告する。その時の夫婦の会話だ。〈余命三カ月ってことはないよ。かかりつけのM先生に相談しよう〉……。

 表題のそれでもはそういう意味だ。抗がん剤の副作用で手足に痺れを抱えながらそれでも彼女は山に登り、故郷福島の復興のため精力的に活動する。現在74歳。その情熱の理由を田部井氏に訊いた。

「たぶん天井や屋根の下が嫌いなのね。家で寝ていても景色は全然変わってくれないし、多少体はきつくても自分の時間をどうしたら楽しく過ごせるか、それだけを考えてきました」

 本書は一章「山から学んだこと」と二章「それでもわたしは山に登る」の二部構成。前半には氏が50年の登山生活で得た山の知恵が、後半にはがんの発覚から現在までの経緯が綴られる。

「2007年に乳がんをやった時も、ああ、私にも来たかと思ったんですが、病気のことは伝聞や噂ではなく、自分の言葉で伝えたかった。特に抗がん剤治療中は余計な気を遣いたくなかったので、周囲には黙ってテレビにも出たし、『東北支援の夕べ』では真赤なドレス姿でシャンソンも歌いました(笑い)。

 このコンサートは『被災した東北の高校生を日本一の富士山へ』プロジェクトの募金が目的で、手術して退院の翌日に行きましたよ、富士山へ。その時は5合目まででしたが、今年は山頂まで登ることもでき、この夏休みの富士登山は今後も続けられる限り続けたい」

〈次から次と先の計画ができていくというのは大変だが楽しいことである〉とあるが、そのスケジュールの密度たるや半端ではない。抗がん剤投与の合間を縫って故郷三春町の滝桜ツアーを率い、術後だけでバングラデシュやチェコなど“その国の最高峰”を5つ制覇。記録は現時点で65に伸びた。

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