ケネディ暗殺の大きな背景 戦争を商売の種にする勢力の存在

NEWSポストセブン / 2013年11月18日 7時0分

 1963年11月にジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺されてからちょうど50年が過ぎた。この節目に国際政治ジャーナリスト・落合信彦氏が『二〇世紀最大の謀略』『ケネディからの伝言』(いずれも小学館文庫)の2冊を上梓した。落合氏は暗殺劇について「謎」を挙げている。その一部は以下の通りだ。

【謎1】核心部分の証拠は「2039年まで非公表」
【謎2】パレードルート変更
【謎3】凶器は「旧式の銃」?
【謎4】魔法の銃弾
【謎5】持ち去られた遺体

 落合氏は暗殺の大きな背景を見るべきだと指摘する。以下、落合氏の解説だ。

 * * *
 1970年代になって議会で暗殺調査委員会が発足したが、事件への関与が疑われたマフィア、CIA関係者が聴取直前に不審死を遂げ、ダラスへ3人の殺し屋を送ったとされるシカゴマフィアのドン、サム・ジアンカーナも証言直前に殺され、私が取材で行き当たった3人の本当のヒットマンのうち2人も殺され、もう1人は他の殺人事件で逮捕され、刑務所内で死んでいた。

 ケネディ暗殺は、ミクロの部分ばかり追い掛けても全貌は見えない。具体的な構図は『二〇世紀最大の謀略』に詳しく書いたが、ここではケネディの死の大きな背景を説明しておきたい。

 ケネディは1961年に大統領に就任し、暗殺までの3年弱で多くの実績を残した。

 彼の最大の武器は「言葉」であった。数々の名スピーチで人々の心を動かした(『ケネディからの伝言』に多くを収録したので併せて参照いただきたい)。重要なのは、彼が「有言実行」のリーダーだったことだ。それが彼の死を招いたと言っても過言ではない。ベルリン危機やキューバ危機(※注)といった第三次世界大戦勃発の瀬戸際で、強硬策を主張する軍部やCIAを抑え、一発の銃弾も撃たずに事態を打開した。

【※注】1961年、冷戦下のベルリンで東西ドイツを分けるベルリンの壁が建設され、米ソの武力衝突の危険が高まったのが「ベルリン危機」。1962年、キューバに米国全土を射程に入れるソ連の中距離核ミサイル基地が配備されようとしていたことが発覚したのが「キューバ危機」。ケネディ大統領はいずれも武力行使せずに事態を打開した。

 アメリカには戦争を商売のタネにする勢力がある。第二次世界大戦以来、彼らは戦争とは儲かるものだと味をしめてしまった。しかし、ケネディは全く違う考えだった。常にグローバルな平和を説き、それを実行に移した。そしてソ連とのデタント(緊張緩和)に成功した。

 ケネディは彼ら戦争を望むエスタブリッシュメントにとって天敵と映った。両者はその世界観、ヴィジョンに圧倒的なギャップがあった。戦争のチャンスを失った彼らは最後の市場としてヴェトナムをターゲットに定め、毎日のように正規軍を投入するようケネディに迫った。しかし、ケネディは応じなかった。当時ヴェトナムに送り込んでいた軍事顧問さえ引き揚げることを発表。暗殺1か月前の1963年10月だった。

 ケネディが暗殺され、後継大統領・ジョンソンのもとでヴェトナム戦争は本格化し、何十万という正規兵が送り込まれ、アメリカは出口戦略のない泥沼へと引きずり込まれていった。

 巨大な既得権勢力が牙を剥くと何が起きるのか、ケネディの死から我々が学ぶべきことは多い。

※週刊ポスト2013年11月29日号

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