天皇陛下 水俣病患者に悲しみ苦しみの実体験伝えるよう望む

NEWSポストセブン / 2013年12月6日 7時0分

 水俣病といえば、今から約50年前に発生が確認された環境汚染による公害病だ。公害の原点とも呼ばれ、作家、石牟礼道子氏の『苦界浄土 わが水俣病』により日本じゅうに知られて久しいが、いまもなお苦しむ患者がいる。10月末、天皇・皇后両陛下が熊本県水俣市を初めて訪れ、水俣病患者と懇談した様子を作家の山藤章一郎氏が報告する。

 * * *
「ご苦労なさいましたね」「お会いできてうれしゅうございます」

 初めてまみえた水俣病患者に、皇后陛下はそう慰労された。天皇陛下も、患者、家族10人ひとりひとりに顔を向け、予定外の長い慰霊の発言をされる。全文。

「本当にお気持ち、察するに余りあると思っています。やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだとあらためて思いました。本当にさまざまな思いを込めて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方に向かって進んでいけることを願っています」

 今年10月末、両陛下は初めて水俣を訪れた。これより2か月前、宮内庁から〈水俣病資料館語り部の会〉緒方正実会長に連絡があった。

「天皇陛下から異例の申し出があります。『悲しかった、〇〇さんの家ではこんなことがあった、悔しくて泣いた。そんな個人的な思いを伝えてください』と」

 緒方さんは水銀を規制する〈水俣条約〉採択〈外交会議〉の開会式でもスピーチしていた。だが、天皇陛下はもっと踏み込んだ悲しみ苦しみの実体験を伝えてくれるようにと、望まれた。

 館にゆっくり入ってくる両陛下を患者、家族が起立一礼してお迎えする。緒方さんは身震いした。

「当初、私たちと両陛下のあいだは1.7メートルと決められていたんですが、わずか1メートルになってしまった。畏れ多いことでした」

 背後には、宮内庁長官、県警本部長、知事、県議会議長。

 緒方さんは、戦後からはるか年を経た昭和32年生まれ。子どものころ、226ppm、町で最高の水銀値が髪から検出された。

「多くの思いを胸にあふれさせながら、両陛下に直接15分の講話をお許しいただきました。水俣病は、戦後の復興をめざす政策の中で起きた不幸です。そしていまなお、終わっていません、と。皇后陛下はまばたきもされず、凝っと私を見ておられた。長い長い時を経た胸の閊(つか)えがおりました」

 侍従が時間を促す。だが、両陛下はひとりずつとの話を急がない。泣いて、声が出ない者もあった。緒方さんはこの朝、家を出る前に「もう切らんば」と思うほど電話を長く鳴らした。石牟礼道子さんと、どぎゃんでも話したかった。

 やっと電話口に出た石牟礼さんに訊いた。「体調はどぎゃんですか」

「はい、どげんか暮らしてます」
「いまから両陛下にお目にかかってきます。水俣市民の思いを背負ってお会いしてきます」

 石牟礼さんはこれより3か月ほど前に皇后陛下にお目にかかる機会があった。

「皇后さまは水俣に深い思いを寄せられてますから、がんばってきてくださいませ」緒方氏に伝える。

※週刊ポスト2013年12月13日号

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング