トヨタを再び販売台数世界一にした豊田章男社長の人物像とは

NEWSポストセブン / 2014年1月19日 7時0分

 2009年6月、満を持しての豊田家への大政奉還──そのはずだった。だが、日本一の御曹司・豊田章男社長(57)を待ち受けていたのは、“試練”というにはあまりに過酷すぎるものだった。レクサスのブレーキ不具合に端を発する大規模リコール問題、東日本大震災、タイ洪水による工場稼働停止、超円高。トヨタの君主としての輝きは、みるみるうちに色あせた。

 誰もがこう思ったはずだ。「お坊ちゃん社長にはこの危機は乗り越えられない」。だが、いまトヨタは再び販売台数世界一の座に返り咲き、2014年3月期決算では過去最高益の更新も囁かれる。経済ジャーナリストの福田俊之氏は、豊田社長の人柄を「意外と庶民的」と明かす。
 
「新幹線で名古屋から乗るときは、必ず鳥ソボロ弁当を買うんだそうです。車で移動中はコンビニで買った小倉あんぱんを齧ってる。プライドの高さとか驕りは感じませんね。上下関係を指導される体育会出身ということも大きいのかな」
 
 昨年末、豊田社長は母校の慶應大学で講演した。在学中、勉強は疎かにしがちでホッケー部の練習に明け暮れていたという。豊田社長は「危機を乗り越えられたのは大学時代に鍛えられたから」と胸を張った。
 
 大学3年時には、日本代表に選抜され五輪まであと一歩。卒業後、米留学を経て1984年に入社。傍目には華やかな青春時代に見える。しかし、若き日を語る際の豊田社長の眼は決して穏やかではない。豊田社長は当時をこう述懐する。
 
「何しろこんな名字だから」
 
 将来の社長を確実視される男を同僚は特別視した。その距離感は長くコンプレックスであり続けた。当時の社長、父の章一郎からも「お前の上司になりたい奴はいないぞ」とも言われた。
 
 しかし今から10年前、ある男との出会いが豊田社長を変える。成瀬弘、トヨタのテストドライバーを率いるエキスパートだった。
 
「こっちは命がけなんだ。運転のことをわからない人に車のことをああだ、こうだ言われたくはない」

 
 テストドライバーとは開発車両の性能評価などを通してエンジニアとともにクルマ造りを担う職人である。
 
 当時はトヨタとGMとの合弁会社「NUMMI」の副社長を経て、44歳の若さで本社取締役に就任したばかりだった。社長へと着々と歩を進める御曹司への厳しい叱責──豊田社長は怒りどころか、正直に意見してくれる成瀬に絶大なる信頼を置いた。以来、趣味のゴルフを控え、成瀬の下で月イチのペースで運転の基礎技術を学ぶことになる。
 
 いい運転とは何か。いいクルマとは何か。その答えが「安全」でありまた「楽しい」ということを知る。
 
 2007年からはドイツで開催される24時間耐久レースにも参加、その活動は今でも続く。「道楽だ」といった声は社内外でも多い。だが、トヨタのエンジニアはこんな見方をする。
 
「社長が現場に来るや、エンジニアやテストドライバーと“感覚”で話をしている姿を見て、昔のトヨタの重役もこうだったなァと思い返しました。クルマの乗り心地は数値では表わせない。乗っている人しかわからない感覚なんです」
 
 古参社員もこう続ける。
 
「会社が巨大化して利益を追い続けるうちに、いいクルマとは何かってことを誰も考えなくなっていた。気付いたら社員ですらクルマに乗らなくなっていた。当然、商品の魅力も薄れるばっかり。若者のクルマ離れを嘆く前に、自分たちもクルマへの情熱を失いつつあった」
 
 豊田社長にクルマの“原点”を教えた成瀬は、2010年、ドイツで開発車を運転中に事故死することになる。67歳だった。今でもハンドルを握るのは亡き恩師への「弔い」でもある。

※週刊ポスト2014年1月24日号

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