グリコ森永事件 未解決の一因は警察内部の足の引っ張り合い

NEWSポストセブン / 2014年4月17日 7時0分

 3月27日、「袴田事件」で死刑が確定していた袴田巌元被告について静岡地裁は再審を認めた。1966年6月30日に静岡・清水市で一家4人が殺害された事件は、当初から自白の強要が指摘され、証拠の捏造が疑われた。

 再審と無罪言い渡しは当然のケースだが、裏を返すと、あれだけの凶悪犯罪の真犯人が、半世紀も野放しにされ、何の罰も受けていないことも重大だ。袴田事件に限らず、発生から30年が経つグリコ・森永事件などいまだ犯人の目星すらつかない「未解決事件」には警察の重大な問題が潜んでいる。

「日本の警察は正面からぶつかってくる凶悪事件には怯まないが、はじめて見る変化球には弱い。30年前に発生したグリコ・森永事件には警察の弱点がすべて表われていたように思います」

 事件当時、読売新聞社会部記者として取材にあたったジャーナリストの大谷昭宏氏はこう振り返る。全国民を驚かせた「グリコ・森永事件」は劇場型犯罪の先駆けであり、警察庁の広域重要指定事件としては初めて公訴時効が成立した未解決事件だった。

 1984年3月18日、大手食品メーカー・江崎グリコの江崎勝久社長を兵庫・西宮市の自宅から連れ去った犯人グループは、身代金として現金10億円と重さ100kgの金塊を要求するという奇妙な動きを見せた。江崎社長は事件発生から3日後に大阪貨物ターミナル駅で保護されたが、事件はこれで終わらなかった。

「自力で脱出した」と語った江崎社長宅に6000万円の支払いを要求する脅迫状が届き、さらに大手新聞各社に犯人グループの「挑戦状」が送られたことで、事件は一気に燃え広がった。

 大阪・摂津市内の焼き肉店を舞台にした「現金の受け取り」に失敗した犯人グループは、グリコ本社への放火を皮切りに、丸大食品や森永製菓、ハウス食品に対して毒物入りの食品を送り付け、スーパーの店頭に毒入り菓子を置くなどの脅迫を続けた。事件は翌1985年、犯人グループの一方的な終結宣言によって幕を閉じたが、警察は何ひとつ解明できないままだった。

 問題にすべきは、警察が「大きなチャンス」を自らの手で潰したことである。

「最大の原因は警察内部の足の引っ張り合いでしょう。たとえば、1984年6月の丸大食品への脅迫。列車を使った現金の受け渡しに際して、合同本部は、有力な容疑者である『キツネ目の男』を列車の中と降車後の京都駅で視認しています。状況を知った刑事警察の捜査1課は、『捕捉(逮捕せよ)!』と無線で叫びましたが、現場からは『追尾(尾行中)』という報告しか上がってこなかった」(大谷氏)

 容疑者を視認し「捕捉」の指令まで出ていたにもかかわらず、どうして捜査員は身柄確保に踏み切らなかったのか。

「それは、現場を仕切っていたのが刑事警察ではなく公安警察だったからです。自分たちのセクションの尾行能力を過信し、『キツネ目の男が仲間と合流したところで一網打尽にすればいい』と欲を出した。結局、京都駅構内で対象を見失い、押さえられたはずの身柄まで逃してしまった」(大谷氏)  

※SAPIO2014年5月号

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