江川卓氏のかつての米国人同居人 「臭い」と漬物を全て廃棄

NEWSポストセブン / 2014年5月14日 11時0分

 広島・エルドレッドや阪神・ゴメスの活躍を見ても分かるように、外国人選手の活躍はチームの成績に直結する。“ハズレ”だった外国人選手にまつわるエピソードを、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。

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 今でこそ、外国人獲りの巧さでは東京ヤクルトは定評がある。昨年60本塁打超えをしたバレンティンのように、優秀な“原石”を安く獲得してから、屈指のスラッガーに育て上げるなど、獲得ルートもしっかりしている。そんなヤクルトも、過去1人の外国人選手に振り回されたことがあった。1984年に入団したクリス・スミスだ。

 彼にはあの江川卓が密接に関係している。法大を卒業後、クラウンライター(現・西武)からの1位指名を拒否した江川は、南カリフォルニア大学に約1年間留学するが、この時に米国で共同生活をしていたのがスミスだった。元々留学のきっかけになったのは日米大学野球で、スミスはこの時、米国の4番を打っており、交流があったことから“ルームシェア”の相手に選ばれたのだ。

 スミスの実家は農場を経営しており、彼は学生ながらポルシェを乗り回していた。江川とともにその実家に招待された時、作っているカリフォルニアワインを飲ませてもらったが、味は絶品で、まだ何もわからなかった私は、これほど旨いものはないと思ったほどだ。その実家での歓談中、江川がトイレに立った時だった。スミスが真剣にこう聞いてきたのを覚えている。

「彼が本当に1億円をもらえるならば、俺も日本に行きたいな」

 スミスは1978年のメジャードラフト11巡目で、テキサス・レンジャーズに指名され契約。その後エクスポズ、ジャイアンツと渡り歩き、1984年にヤクルトと契約して、日本行きの願いを叶えた。江川はすでに巨人のエースになっていた。

 スミスは開幕3連戦で11打数4安打を放ち、「俺が日本に行けば江川と同じ額の金がもらえる」と豪語していた通りの結果を出した。だが一塁への全力疾走を怠ったことから、熱血漢として知られた当時の武上四郎監督の逆鱗に触れ、その後はまったく使われなくなってしまう。「メジャーでは実力が優先だ。力を出せばいいだろう」というスミスに対し、武上は「ここは日本だ。日本のやり方に従え」と口論になり、感情のもつれから生まれた処置だった。

 ただ武上監督が5月に解任され、代わった土橋正幸の方針で、再びチャンスを与えられる。元々、大杉勝男の後継者として獲得した経緯があったため、もったいないという判断だった。しかしスミスは日本の野球に不信感を持ったのか、最後まで打ち解けようとはしなかった。

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