横浜高校で時代築いた野球部名物コーチの思い出を記者が述懐

NEWSポストセブン / 2014年5月25日 16時0分

 横浜高校野球部コーチ、小倉清一郎氏(69歳)の今夏限りの引退が報じられた。名物指導者の引退は、高校野球界だけでなくプロ野球界の今後も変えるかもしれない。フリー・ライターの神田憲行氏が書く。

 * * *
 私が小倉さんと初めて出会ったのは、1998年、「横浜vs.PL学園」(朝日新聞出版文庫)というノンフィクションを書くためだった。あの松坂大輔投手とPL学園の延長17回の戦いである。

 本の中で小倉さんがPLの投手の癖、打者の打球方向などを分析した「小倉メモ」を紹介したところ、大きな反響があった。見た目はお腹がでっぷりと出て「べらんめえ」調の喋りだからアバウトな人かと思いきや、相手選手の長所短所を瞬時に見抜く鋭さがあった。小倉さんが作成した「投手の一塁牽制」に関する横浜高校の練習メニューをみせてもらったら、A4紙に3ページにわたって図入りで詳細に書かれていた。神奈川の細かく緻密な野球をリードした人だと思う。

 出たり入ったりはあったが、1994年から同校野球部部長に就任し、横浜高校時代の同級生・渡辺元智監督と二人三脚で全国優勝5回に導いた。プロに送った選手も、松坂を始め、成瀬善久(ロッテ)、涌井秀章(同)、筒香嘉智(横浜DeNA)ら、枚挙にいとまが無い。主に精神面は渡辺監督、技術面は小倉さんが担っていた。松坂はかつて私に、

「高校時代にピッチング練習してて、渡辺先生が後ろから見ていたらすごく緊張した。でも小倉さんだと何にも怖くなくて、リラックスしてました」

 甲子園で私が挨拶に伺うと、必ず

「おう、あんた、まだ(記者)やってたのか」
「勝手にやめさせないでくださいよ」

 というやりとりをしていた。私のことを覚えているのかいないのか、どうも狸でよくわからない。でもたまに囲みの取材の中で思い切って自分の野球観を交えた質問をすると、私の顔を指して、

「その通り!」

 といってくれて、ちょっと心が躍った。逆に1度、いじったこともある。

 2006年の夏、その年の選抜で優勝した横浜は初戦で中田翔がいる大阪桐蔭と対戦した。中田はその前年、1年生で華々しくデビューしていた。試合前に小倉さんにその対策を訊ねると、

「中田翔なんてまだまだ、だよ」
「ピンチでは敬遠とか」
「するわけねぇだろ」

 ところが四球を2つ与え、特大のホームランも打たれて6対11で敗れた。試合後にまた小倉さんのもとに行った。

「敬遠しましたよね」
「してない!」
「いやだって、ストレートで歩かせたじゃないですか」
「あれは、たまたま、外れただけ」

 お茶目なところがあった。

 2009年に定年に伴い、部長職を降りてコーチになり甲子園ではベンチに入らなくなった。コーチになったばかりのころ電話をすると、

「久しぶりに風邪をひいちまったよ。緊張感が解けたのかなあ」

 とぼやいていたのを覚えている。

 そのころから、横浜の野球部が少しずつ変わっていったと思う。勝つには勝つのだが、外野手が緩慢なプレーをして単打を長打にしたり、打席で相手投手を挑発するような振る舞いをするようになった。1998年のチームなら考えられないようなことだ。今年のセンバツではも初戦で敗れ、春の関東大会でも44年ぶりというコールド負けを喫した。今後、毎年のように指名上位に選手を送り込んできたドラフト戦線でも変化が訪れるだろう。

 横浜高校から離れて、小倉さんは今後、全国を指導で回る意向があるという。一抹の寂しさは禁じ得ないが、小倉さんの新しい活動も楽しみもある。

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