【著者に訊け】奥泉光 暗躍した謎の男描いた『東京自叙伝』

NEWSポストセブン / 2014年5月29日 16時0分

【著者に訊け】奥泉光氏/『東京自叙伝』/集英社/1800円+税

 主人公は、東京自身──。奥泉光著『東京自叙伝』の紹介はその一言で事足りるともいえよう。幕末から明治、大正、昭和、平成と、〈私〉は各時代を生きた男や女の体を転々と間借りし、自らの来し方を滔々(とうとう)と語る。

 福沢諭吉『福翁自伝』に文体の範をとり、時に毒、時にユーモアを交えながら、この長大な自虐的モノローグを一気に読ませる奥泉氏は、その目的を自身の一貫した主題でもある「近代の検証」にあると言う。東京が何処へ向かうのかを問うことはこの国の未来を問うことと、ほとんど同義だ。

 饒舌で皮肉屋で、自分が大好き! 本書で語り手を務める〈東京の地霊たる私〉の性格は、とにかく自意識過剰の一言に尽きる。また〈「なるようにしかならぬ」とは我が金科玉条、東京と云う都市の根本原理であり、ひいては東京を首都と仰ぐ日本の主導的原理である〉と嘯(うそぶ)く無責任ぶりは、もはや〈思想〉と言ってもいい。

「厳密にはその場その場で反応しているだけで、思想とは呼べませんけどね。僕は今のこの世界を考える上で不可欠な近代の形、特にアジア太平洋戦争には、作家になる前から強い関心を持ってきた。あの特攻にも等しい戦艦大和の出撃やノモンハン事件にしても、我々は未だ反省も歴史化もできてはいないわけです。そこに起きたのが福島の原発事故で、繰り返される無反省と現状肯定に人格を与えると、この小説になる」

 本書を通じて東京の血肉化を図り、「語りの推進力」そのものが物語を生む現場を活写した奥泉氏は、それこそが文学の歴史に対するアンチテーゼだと語る。

「歴史はドイツ語でゲシヒテ、またはヒストリーとも言って、前者は物語、後者は史料の意味合いが強い。その成り立ちからして意図や虚飾と無縁でいられない歴史には、果たして正しく叙述され得るかという問題が常に付き纏(まと)うわけです。

 実は20世紀最大の問題が幾多の物語が歴史と称して書かれたことで、その危うさに最も批判的立場にあるのが予め虚構であることを宣言して書く文学者だろうと。つまり日本の近現代を虚構とわかる形で物語化したこの試み自体が、批判や毒を孕むと言ってもいい。問題はそれをどう面白く書くか。不謹慎とユーモアが隣り合い、虚と実が絶妙に絡みあう語りの疾走感を、ぜひ堪能してほしい」

 まず幕末~維新の私は、下谷三味線堀に住む御家人〈柿崎幸緒〉。大火で係累を失い、金貸しで小金を貯めこむ柿崎家の養子に入った彼は、仲間を唆して養父を亡き者にし、対官軍戦では最後に寝返って彰義隊壊滅に一役買った。

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