平幹二朗 階段を駆け降りる荒っぽい演技にも美しさ求める

NEWSポストセブン / 2014年7月3日 16時0分

 多くの映画やドラマで人気を博した平幹二朗の役者デビューは、俳優座の舞台だった。それから半世紀以上、いまも舞台に立ち続ける平が考える役者としての表現について語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。

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 平幹二朗は1976年、蜷川幸雄演出の舞台『卒塔婆小町』に出演している。そしてそこから十年以上に亘り、両者は数々の芝居を築き上げてきた。

「浅利慶太さんの芝居では、主役は少なくともまずは堂々と立っているように言われていました。でも、それだけだと物足りなくなってしまうんです。ぐちゃぐちゃにして転げ回りたいって。そういう欲求が自分の中に出た頃、蜷川さんと出会いました。

 浅利さんも劇団四季でミュージカルに力を注がれていた頃で。ただ、僕は歌の基礎がないですから。勉強した俳優がどんどん出てきたら彼らに負けると思い、ミュージカルには出ないことにしたんです。

 その頃、蜷川さんも自分の劇団を辞めて東宝で『リア王』や『オイディプス』といった良い芝居を作ってらっしゃった時期で。ちょうどそんな時、僕が主演するテレビドラマ『はぐれ刑事』で蜷川さんが犯人役で出ていて、『蜷川さんの芝居に出してよ』ってプロポーズしました。

 蜷川さんは三島由紀夫さんの追悼公演で『卒塔婆小町』という現代能楽の作品を国立劇場でやることになっていて、そこで九十九歳のお婆さんの役をやりました。それがとても評判がよくて、そこから一緒にやろうという作品が増えていきました。

 僕としては、俳優座で新劇の芝居を、浅利さんからは言葉の伝え方を、と基礎を鍛えられた後で、一生懸命やれば何でも許してくれる蜷川さんといろんな作品をやれたことは、幸せだと思っています」

 平と蜷川が組んだ舞台のほとんどは、『王女メディア』をはじめとするギリシャ悲劇、『ハムレット』などのシェイクスピア、そして近松、いずれも古典劇だ。

「演劇と政治が蜜月にあった時代がありましたが、僕は演劇青年ではなかったのでデモには参加せず、歌舞伎座にばかり行っていました。大成駒屋(※五代目中村歌右衛門)とか、そういう芝居がとても面白くて。

 それで歌舞伎の芝居を作る技術が段々と見えてきました。やれることはないんですが、観ていて分かるんです。そういうものが何となく頭の中にあったので、近松をやる時でも蜷川さんとは『僕らでしかやれない近松をやろう』と話しながら参考にしました。
 
 ハートだけではこなしきれないんです。封印切りとかそういう見せ場の段取りやテクニックを我々なりに使わないと、カタルシスまで持っていけない。いきなり叫んだところで、自分はカタルシスになれてもお客さんはカタルシスにはなれない。

 蜷川さんは『ちょっと放っておくと平さんは“形”になっていくんだよ』と言っています。僕が“形”を見て知っていることは彼には邪魔だったのかもしれません。『長谷川一夫じゃないんだから』とか言われました。『“形”になりすぎる』と。

“形”も必要だけど、もっとリアリティを込めろと言いたいのだと思います。それは分かっていましたが、表現なのですから、階段を一つ駆け降りるにしてもカッコよくというか、荒っぽい中にも美しさがいると思うんです。もちろん作品によってですが」

●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)ほか。

※週刊ポスト2014年7月11日号

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