『花子とアン』モデル白蓮 美智子妃ご婚約に猛反対していた

NEWSポストセブン / 2014年7月17日 7時0分

 視聴率も好調なNHKの朝ドラ『花子とアン』で、仲間由紀恵(34才)演じる葉山蓮子のモデルとなったのは、歌人・柳原白蓮(1885~1967年)だ。この白蓮と皇后・美智子さまとの間には、ただならぬ関係があったという。

 1958年(昭和33年)11月27日、美智子さまは皇室会議により、正式に皇太子妃に内定した。民間初のプリンセス誕生に国民は沸き、ミッチーブームが巻き起こる。しかし、そんな祝福ムードの国民とは裏腹に皇室内部、そしてその周辺では猛烈な反対運動が起こっていた。

 約50年にわたって昭和天皇に仕えた入江相政(すけまさ)元侍従長が日々の仕事について綴った『入江相政日記』。1958年10月11日の日記には、こんなことが綴られている。

《東宮様(現在の天皇陛下)のご縁談について平民からはとは怪しからんといふやうなことで皇后さま(香淳皇后、享年97)が勢津君様(秩父宮妃勢津子さま、享年85)と喜久君様(高松宮妃喜久子さま、享年92)を招んでお訴へになった由》

 しかも、この日記はご婚約発表のわずか1か月半ほど前。そんなギリギリの時期まで反対活動を続けていたのだ。

 ご婚約が正式決定した後には、今度は常磐会(ときわかい)による反対が始まる。常磐会とは女子学習院のOG会で、明治以来、皇族妃、元皇族を中心にした組織で、皇室内における力は絶大なものがあった。

 当時、その常磐会の会長を務め、皇室に大きな力を持っていたのが勢津子さまの母・松平信子さん(享年82)だった。

「お后は旧伯爵家以上の家庭から選ばなければなりません。一般のかたでは伝統習俗の多い皇室にはいるのは無理でしょう」

 これが信子さんのお妃選びの考え方で、周囲にも言い続けてきた。しかし、美智子さまが妃殿下に決まり、常磐会会長として面目を潰された信子さんは、烈火のごとく怒り、あろうことか“婚約解消”へと動き始める。そんな信子さんの右腕として尽力したのが白蓮だったのだ。前述した『入江相政日記』(昭和33年12月22日付)には、こう綴られている。

《松平信子、宮崎白蓮が中心となって今度の御婚儀反対を叫び愛国団体を動かしたりした由》

 白蓮と姻戚関係にあった白洲正子さん(享年88)にも白蓮から反対運動に加わるようにと連絡があった。正子さんは華族の出で、政財界との強いパイプを持つ白洲次郎を夫にもつことで、上級社会では強い影響力があった。正子さんは自伝でこう明かしている。

  • 前のページ
    • 1
    • 2
  • 次のページ
NEWSポストセブン

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング