中村嘉葎雄 兄・萬屋錦之助と似ぬよう汚れ役を選んでいった

NEWSポストセブン / 2014年11月2日 16時0分

 俳優の中村嘉葎雄(かつお)の兄は、日本映画の黄金時代を代表する大スター、中村錦之助(のちの萬屋錦之介)である。大スターである兄と自分との違い、反発した若いころについて中村が語る言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。

 * * *
 松竹で映画デビューした中村嘉葎雄は1985年、東映に移籍する。東映は時代劇中心の京都、現代劇中心の大泉という二つの撮影所を擁しており、嘉葎雄が配属されたのは京都だった。そこでは既に、実兄の中村錦之助(後の萬屋錦之介)がトップスターとして人気を博していた。

「東映に移ったのは、ただ『行きなさい』と言われたからです。東映京都では衣装でも小道具でも、全て錦之助が決めてくる。便利は便利なんですが、段々と『これでいいのかな。自分で考えたい』と思うようになって。

 それに撮影所に自分の友達も作りたいと思った。京都ではみんな錦之助の子分ですから。みんな彼のことを『若旦那』と呼ぶし、私のこともそのついでに『嘉葎雄さん』と。それが少し嫌だった。それで、大泉に移ることにしたんです。そこで初めて、友達ができた。助監督時代の降旗康男さんや佐藤純彌さん、澤井信一郎さんとか。

 錦之助は偉大でした。兄弟というより、大先輩。三味線から踊りから、能、全ての稽古事をちゃんとやった人です。だから、何だってすぐにできる。それにはもう、敵わない。仕草がきちっと入っているんです。私には絶対にできないと思いました。ですから、頭が上がりません。

 周りからは、よく『錦之助と似ている』と言われました。それが嫌で、似ないよう汚れ役を選んでいくようにしました。顔を汚くすれば分からなくなるんじゃないか、と思って」

 それでも、両者はその後も映画やテレビ時代劇、舞台と、数多くの作品で共演してきた。

「歌舞伎座で萬屋が公演する時は私も必ず一本出なくちゃいけないんですよ。だからわざと映画やテレビの仕事を入れたりしていました。それで母親に『来月は出られない』と言うと、『しょうがないわね。映画の方を大事にしなさい』と納得してもらって。助かりました。

 萬屋は『錦之助』時代の方が良かった。『萬屋』になってからは筋無力症という重病を負いましたから。それでも、そこから立ち直った精神力は凄かった。同じ病気の人の励みになったんじゃないですか。ただ、そういうのがあるもので力が入って、芝居が大きくなってしまった。彼は責任感の強い人だから」

  • 前のページ
    • 1
    • 2
  • 次のページ
NEWSポストセブン

トピックスRSS

ランキング