武田鉄矢 喜劇は泣きながら作り、悲劇は笑いながら作るもの

NEWSポストセブン / 2014年11月17日 16時0分

 今では演じた役柄の物まねをされるほど俳優としても知られる武田鉄矢だが、デビューはフォークソング歌手だった。その後、本格的に役者の道を進むきっかけになった映画『幸せの黄色いハンカチ』の撮影時の思い出を振り返った武田の言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。

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 フォークソンググループ・海援隊で歌手として活躍していた武田鉄矢が初めて本格的に役者の仕事に足を踏み入れたのが、1977年の山田洋次監督作品『幸福の黄色いハンカチ』だ。

「『母に捧げるバラード』という歌を出して、それ以降はサッパリだったんですよね。世間で名前も忘れられかけていました。でも山田監督は覚えていてくれて、演技力なんか全くないのに、僕を抜擢してくれたんです。

『これはツイてるぞ』と思いました。主演が高倉健さん、共演が倍賞千恵子さんに、当時最も若手に人気のあった桃井かおり。自分の名前が四番手なんですよ。海援隊の二人を呼んで、『とにかく手柄を立ててくるからな。当ててコンサートにお客さんがいっぱい来るようにするぞ。待ってろ』と言い置いて、北海道ロケに出発しました」

 演技経験はなかったため、全て現場で覚えていくことになる。「山田学校の演劇講座の開始です。セリフの言い方、カメラ位置と自分の関係、想いの込め方……そういうものを山田監督から毎日教えてもらう日々でした。

 網走駅前で桃井かおりを引っかけて車に乗っけて世間話をするという場面の撮影のことなんですが。『食べもの、何が好き?』『ラーメン』『俺もラーメン、好き。でも高くなったよな。こないだ上野で食べたのはウン百円した』とため息を吐く。それだけの芝居だったのですが、4時間以上しごかれました。

 山田監督は、『まず最初に静寂がなければならない』とおっしゃる。ハンドルをジッと握って、何を話そうか、ドキドキしている。その演技があった後で、あふれるような勢いで質問したら、自分もラーメンが好きだから嬉しくなる。そして、最後に自分のインテリジェンスを売り込む。その四段階が、この短いシーンで出ないとダメなんだと言われました。毎日しごかれました。武田の一点攻めですよ。

 桃井と二人でカニを食べて、それに当たって腹を下して草原まで便をしに走るという撮影の時は『違う』を連発されてカメラが回りませんでした。色気こいて芝居が大きかったのでしょう。最後は『何をふざけてるんだ!』と怒鳴られました。

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