106歳女性教師の手紙が88歳の台湾人生徒に届くまで【前編】

NEWSポストセブン / 2016年2月12日 7時0分

 台湾の新総統である蔡英文氏は、中国依存からの脱却を掲げる一方、日本との連携強化に動き出した。彼女は戦前の日本統治時代についても、「日本人には誤りもあったが、台湾に対する貢献もあった」と冷静に評価する。新総統の誕生によって、日台関係は再び蜜月の時代を迎えようとしている。

 国を挙げての盛り上がりとなった総統選の期間中、実はもう一つ、台湾で話題を呼んだ“ちょっとした騒動”があった。それは、70年前に遡る日本と台湾の“絆”を、いまの台湾人に思い起こさせる話だった。

 騒動は、熊本県玉名市在住で106歳(取材当時、以下同)の高木波恵さんが出した1通の手紙から始まった。高木さんは1930年代、日本統治時代の台湾台中市にあった烏日公学校(現在の烏日小学校)で教鞭を取り、主に小学2~3年生の台湾人生徒を指導していた。

 昨年2月、台湾で大ヒットした映画『KANO』の日本公開を知った高木さんは、久しぶりに台湾の教え子たちに手紙を書いてみようと思い立った。『KANO』は日本統治時代の台湾に実在した嘉義農林学校(現在の国立嘉義大学)の野球部が、海を渡って甲子園に出場し、初参加ながら準優勝するまでを描いたスポーツドラマだ。

 実は高木さんは映画のなかで描かれている決勝戦を、烏日公学校近くの役場で、同僚たちとともに実際にラジオで聞いている。決勝戦が行なわれたのは1931年8月21日。映画の公開をきっかけに、80年以上も前の古い古い記憶が呼び起こされた。

 教え子たちもすでに90歳近くなっており、消息がわからない者もいる。20年ほど前までは手紙の往来もあったのだが、1999年に発生した台湾大地震以降、完全に音信が途絶えていた。

 手紙を送る相手は、級長だった楊漢宗さん(88)を選んだ。高木さんは目が悪いため、娘の恵子さん(76)に代筆を頼んだ。恵子さんは半紙と硯を用意し、筆先に墨汁をたっぷりとつけて流れるような筆さばきで、高木さんの語る言葉を書き連ねていった。

〈春節おめでとうございます。二月十八日、はるか日本国より久方ぶりに楊漢宗様へ〉と書き始めた手紙は、

〈なつかしい烏日公学校卒業の皆様、お元気でしょうか。お伺い致します。母がまだ元気で頭脳も確かなうちに娘として知らせてやりたいです〉

 と続く。かつて可愛がった教え子たちの安否を知りたいという一心だった。住所は昔のものしかわからないため、無事届くかどうか確信はなかったが、祈るような気持ちで投函した。

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