聖徳太子か厩戸王か論争 井沢元彦氏が称号の謎に迫る

NEWSポストセブン / 2017年4月12日 7時0分

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作家の井沢元彦氏の見解は

 小学校では「聖徳太子(厩戸王・うまやどのおう)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記すべし──文部科学省が今年2月に発表した、「聖徳太子」に関する学習指導要領改定案には、「混乱を招く」と反発が広がった。その後、小中学校ともこれまで通り「聖徳太子」で統一することになったが、この騒動の背景には多くの奥深い謎がある。本誌・週刊ポスト人気連載『逆説の日本史』の作家・井沢元彦氏が解説する。

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「聖徳太子」というのは死後に送られた称号で、本名は「厩戸皇子」、または「厩戸王」です。ですから歴史学者が、正確を期すため本名の「厩戸王」で呼ぼうとするのは悪いことではありません。

 しかし一方で、彼の功績が「聖徳太子」という名前とともに長く語り継がれてきたこともまた事実です。決してこの名前は教科書から消すべきものではありません。

〈厩戸王は用明天皇(31代)の第二皇子で、厩屋(馬小屋)の戸の前で生まれたことから「厩戸王」と名付けられたとされている。最初の女性天皇である推古天皇(33代)のもとで摂政として権勢をふるい、十七条憲法や冠位十二階を制定し、遣隋使の派遣などを行なった。死後、「聖徳太子」と呼ばれたのも、彼の功績が偉大だったから──というのが通説である。しかし、井沢氏はまったく別の視点から「聖徳太子」の称号を捉える──〉

●聖徳太子は不幸な死を遂げた?

 聖徳太子が為政者として業績を残したのは事実ですが、それよりも不幸な死に方をしたがゆえに悪霊にならないよう、「聖徳太子」と名付けて神格化されたというのが僕の説です。

 実は聖徳太子の後に、「徳」の字のつく天皇は6人いる。孝徳天皇、称徳天皇、文徳天皇、崇徳天皇、安徳天皇、順徳天皇です。このいずれもが“穏やかな死に方”をしていません。孤独死、憤死(無念の死)、自殺など不幸な形で亡くなっているのです。つまり「徳」の字は「無念の生涯」を送った天皇に贈られたものだと考えるべきです。

 そこで私は、聖徳太子は自死したのではないかと考えています。

 当時、聖徳太子の父親の血筋である天皇家と、母方の蘇我家が対立していた。熱心な仏教徒だった聖徳太子は、その血の争いを断つために仏教の「捨身・しゃしん(※注)」という姿勢を取ったのだと思います。

【※注/他の人や生き物のために自分の命を捨てること】

●怨霊を封じ込める観音像

 聖徳太子の死後、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)は政争に巻き込まれた末に一家心中をしたと『日本書紀』に記されている。結果、聖徳太子一族は絶滅し、拠点であった斑鳩(いかるが)の地に彼らを偲んで建てられたのが、法隆寺の東院伽藍(がらん)とされる。

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