村田修一は広澤、江藤に続く巨人FA入団の犠牲者か

NEWSポストセブン / 2017年5月26日 16時0分

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巨人のFA入団の「犠牲者」の系譜とは?

 今ひとつ波に乗り切れず、一進一退の状態が続いている今季の巨人。オフには、2013年に楽天を日本一に導いた強打者ケーシー・マギーを日本に呼び戻し、2012年パ・リーグMVPの吉川光夫をトレードで獲得。DeNAから山口俊、日本ハムから陽岱鋼、ソフトバンクから森福允彦と史上初となるFA選手を3人も手に入れ、「30億円補強」と騒がれた。高橋由伸監督が2年目となる今季、優勝が至上命題となっているが、補強選手が機能しているとは言い難い。

 山口と陽はケガで一軍にすら昇格しておらず、森福と吉川は二軍落ちを経験するなど調子を取り戻せていない。マギーは三塁のレギュラーに定着し、安定した成績を残しているが、そのぶん同じポジションで昨年のチームの本塁打王、打点王である村田修一がベンチに追いやられる異常事態になっている。野球担当記者が話す。

「4番ばかりを取り続けた1990年代後半の長嶋茂雄監督時代に舞い戻ってしまった感があります。38歳の阿部慎之助が年間を通して活躍できないという見通しの上でのマギーの補強だったと思われますが、これでは村田は腐るだけ。入団以来、ずっとレギュラーを張り続けた選手がたまに使われるだけではペースが掴めず、調子は上がってこない。若手にはさらにチャンスがなくなりますし、悪循環に陥るだけです」

 補強はチームに足りないところを補うものだが、巨人は余剰人員を抱えるだけになってしまった。

「今年と同じく『30億円補強』の見出しが躍った1997年を思い出しますね。1996年の後半戦、日本シリーズで大森剛が大活躍。ドラフト1位の大砲候補がようやく開花するかと思われました。実際、一塁のレギュラーだった落合博満は1997年に43歳を迎え、大森は落合と勝負するチャンスが到来するはずでした。しかし、清原和博がFAで入団。それに伴い、落合は退団。

 それだけならまだしも、一塁、三塁を守る、近鉄から打点王も獲得したことのある石井浩郎もトレードで入ってきた。1995年にヤクルトからFAで来た広澤克実も一塁を守れる。結局、大森は1997年の開幕戦に『6番・ライト』で先発出場したものの、4月のスタメンはそれを含めて3試合のみ。結局、開花することなく、翌年近鉄に移籍し、1999年限りで引退しました。石井も広沢も、試合に出たり出なかったりする巨人では、以前のような成績は残せませんでした」

 2000年代に入っても同じことが起こっている。

「2000年に広島からFA移籍した江藤智も村田と同じような目に遭いました。2004年、同じ三塁の小久保裕紀がダイエーからトレード移籍し、ポジションを奪われた。江藤はまだ34歳と老け込む年齢でもなかった。結局、39歳で引退したが、2004年以降2ケタ本塁打を記録することはなかった。巨人でなかったら、もっと成績が残せていたかもしれません」

 江藤は2002年、2003年と2年連続で20本塁打を割り、徐々に衰えを指摘されていた時期でもあった。だが、村田は昨年のチーム2冠王で、3割も打った。そんな選手がレギュラーから外されてしまう状況では、若手も台頭してくる余地などないと感じるかもしれない。巨人はまた、同じ過ちを繰り返そうとしているのだろうか。

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