過激派活動家が46年も警察から逃げ続けられた理由

NEWSポストセブン / 2017年6月20日 7時0分

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大坂容疑者はなぜ逃げ続けられた?(写真・時事通信フォト)

「渋谷暴動事件」──。おそらく60代以上でないと、ピンとこない事件であろう。1971年に沖縄返還協定を巡って、中核派を主とする学生らが渋谷で暴動を起こし、機動隊員の中村恒雄警部補(当時21)がガソリンをかけられて焼き殺された事件である。その実行犯とされた中核派メンバーの大坂正明容疑者(67)が、去る5月18日、広島市内のマンションで大阪府警によって逮捕された。逮捕の経緯について、公安関係者はこう語る。

「今年1月下旬、以前から大阪府警が中核派メンバーとして行確(こうかく=行動確認)を続けていた60代の女と、今回、犯人蔵匿容疑で再逮捕された鈴木哲也が大阪府内で接触したことを確認した。

 中核派などは逃亡犯に付きっきりで衣食住のすべてをサポートする非公然の活動家を付けるが、鈴木は大坂の逃亡支援者と考えられていた。複数の捜査員が尾行を開始すると、鈴木はホテルに偽名で宿泊したり、電車やバスを何度も乗り換えるなどかなりの警戒ぶりを見せていたが、最後は逮捕現場となった広島市のマンションに入るのを確認した。

 張り込みを始めてから数日後、後に大坂と分かる“正体不明の男”も視認したが、捜査員たちもまさか大坂とは考えていなかった。というのも、大坂の“面割”ができるのは、全国でも警視庁に1人しか残っていなかったからだ」

 捜査員が踏み込んだとき、大坂は水に溶ける特殊な紙の資料を風呂場で溶かして証拠隠滅をはかっているところで、67歳とは思えない素早い動きで捜査員に体当たりしてきたという。

 今回の逮捕が世間に衝撃を与えたのは、大坂が46年間も逃亡を続けてきたことだ。なぜそんなことができたのか。新左翼を取材してきたジャーナリストの野村旗守氏はこう答える。

「他人の身分証を借りたり、偽造したりして身元を隠し、潜伏し続ける。中核派OBのなかには、医者や企業経営者などになって成功した人間もいて、逃亡の資金援助をする。組織というより、個人的なつながりで金を集めるので、大物であるほど集まりやすい」

 大物であるほど、長期の逃亡が可能になるという。

 中核派とともに新左翼の一角をなした革マル派にもニュースがあった。今年1月10日、警視庁と神奈川県警は東京・葛飾区にある革マル派のアジトを家宅捜索したところ、革マル派のトップ、植田琢磨議長の本名が「新田寛」で、年齢が70歳であることが判明した。1996年に議長を引き継いで以来、植田の「本名」と「年齢」は長年、謎とされていたのだ。別の公安関係者はこう言う。

「およそ5年間の追跡調査が実を結んだ。何度も“切られた(見失った)”が、都内で革マル派が極秘で開いた会議を突き止め、本名を知る手掛かりをつかんだ。そこから植田が神奈川県の団地に本名の新田で住民登録していることを把握した。植田は携帯電話や免許証も実名で取得していた。

 実は家宅捜索の際、植田が書いた文書も入手したが、そこには“俺はもう(革マル議長を)やめたい”との言葉が綴られていた。普通は大坂のように証拠隠滅するのが鉄則だから、“やめたい”という言葉は本心に思える」

 70歳ともなれば、長年の逃亡生活に疲れ果てたとしても不思議ではない。

※週刊ポスト2017年6月30日号

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