台湾独立に賭けた男たちの熱き生き様

NEWSポストセブン / 2017年7月28日 7時0分

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台湾独立派の長老と呼ばれるグー・クワンミン氏

 日台裏面史を辿ったSAPIOの連載「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」。戦後の動乱期に台湾から日本にやってきた故郷喪失者たちは、祖国の独立を強く願った。見果てぬ夢ともいえる台湾独立運動だが、半世紀の時を経た今、奇跡を起こしつつある。ジャーナリストの野嶋剛氏が報告する。

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 3年ほど前、ヒマワリ運動の取材で台湾にいた。学生が占拠した立法院の外壁に、同じ学生の仲間たちが黄色い小さな付箋に思い思いのひとことを書き込んで、ペタペタと貼り付けてあった。

 数え切れない付箋の8割ぐらいに「台湾要独立!」「台湾独立万歳!」などと台湾独立に言及していたことに、私は少なからぬショックを受けた。

 若い人に台湾独立の思想が広がっていたことではない。その言葉が、なんの遠慮もなく、無邪気なほど自由闊達に語られていることに対して、だ。

 台湾独立という言葉は長年、国民党の専制支配下の台湾では禁語だった。語ったら即、牢屋行きであった。民主化のあとも、公的空間で普通の知識人はあえておおっぴらに語らない、という暗黙のルールがあった。

 だが、いまの若者たちにはそんな「常識」は「非常識」になったようだ。台湾独立という政治的現実はいまなお遠い。しかし、その考え方は台湾社会にすでに溶け込んで、まるで青空に漂う雲のように、堂々と可視化されている。

 その変化の淵源が、実は、日本で独立を掲げた戦ったタイワニーズの傑物たちにあったことは、意外なほど日本では知られていない。

 台北で、白いスーツと白髪をトレードマークとする洒脱な90歳の老人と向かい合った。若い頃はプレイボーイで名を馳せて銀座を闊歩し、現在は民進党の影のスポンサーとも言われる。

 台湾メディアに「独派大老(台湾独立派の長老)」と形容されるグー・クワンミンは台湾きっての財閥・辜(グー)家の八男だった。1947年に起きた蒋介石・国民党政権の民衆弾圧「2・28事件」で身の危険を感じて香港経由で日本に逃亡。日本で結成された台湾青年社(のちの台湾独立建国連盟*注1)に参加し、1965年から1970年まで委員長も務めた。 「私にはちょっとした資金があった。どんどんお金を投じて(連盟の機関紙)『台湾青年』という刊行物を世界中で発行し、組織を拡大させたんです」

(*注1:1960年東京で王育徳を中心に台湾青年社が成立、「台湾青年」の発行を始める(02年、停刊)。1963年、台湾青年社を台湾青年会に改称、黄昭堂が委員長に。1965年、台湾青年独立連盟に改称、グー・クワンミンが委員長に。その間、逮捕者を出した1964年の「陳純真事件」1968年の「柳文卿事件」などを経験しながら運動を堅持。1970年に台湾独立連盟に、1987年に台湾独立建国連盟に改称。1992年に連盟幹部の入国禁止が約30年ぶりに解かれる。)

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