明治維新の廃仏毀釈「イスラム国的な文化破壊活動」評も

NEWSポストセブン / 2017年8月26日 7時0分

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昭和初期まで二・二六事件などのテロが多発した 共同通信社

 明治維新が素晴らしいものであるとの“常識”に疑義を呈したのは『明治維新という過ち』の著者で作家の原田伊織氏だ。氏は明治維新がその後の軍部の台頭を招き、また「官軍史観」が現代社会を歪めていると指摘する。

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 明治維新と呼ばれている政変によって、日本が背負った「負の遺産」は少なくない。千年以上にわたって「神仏習合」という形で維持してきた穏やかな宗教秩序や多元主義的な生態を、「復古」を狂信的に唱える薩長新興勢力が「廃仏毀釈」というイスラム国のようなやり方で徹底的に破壊した。世界史にもあまり例をみない恥ずべき文化破壊活動である。

 また江戸日本は300諸侯がそれぞれ独自に地域社会を治める連合国家でもあり、独自の自然観に基づく、現代からみれば驚くべき先進的な持続可能な社会システムを構築していた。しかし西欧文明にかぶれた薩長によって一元化した中央集権体制が強いられ、日本的な多元主義や寛容かつ平穏な精神文化が否定されてしまった。

 一元主義、不寛容の象徴が靖國神社だ。これは、江戸幕府を滅ぼした長州側が、「官軍」の戦死者だけを祀るために作ったもので、正義の基準を官に置いて“官にあらざれば賊である”と独善的な考えのもとに誕生した。つまり靖國神社は、自らのみを「正義」としてそれに対する崇拝を強制するという意味で極めて「非日本的」な神社と言える。

 現在、保守派の政治家から西郷隆盛ら「賊軍」を合祀せよとの声があがっているが、その貧弱な歴史観はこっけいにしか映らない。今でも長州賛美主義者が堂々と公言している通り、靖國神社はどこまでいっても「長州神社」であることを忘れてはいけない。

 一方で、皇軍として大東亜戦争を戦った親族を持つ私は戦没者遺族として、今も靖國神社を参拝して手を合わせる。他に身内の追悼のために行く場所がないからだ。そのように靖國神社に複雑な感情を持つ一人として、独善的な一元主義に基づく神社への「賊軍合祀」などという動きは、歴史の実態を知らぬ政治家の“お遊び”に過ぎず、迷惑千万と言わざるを得ない。

 選挙区が山口で吉田松陰を信奉する安倍首相は、来年、明治維新150周年での記念事業を国家行事として展開しようとしている。他にも現政権には、11月3日の文化の日を「明治の日」に変えようとしたり、戦前の教育勅語の肯定を閣議決定したり、完ぺきに“国粋主義化”している。

 中国やロシアの伝統的な侵略主義は断固認めないが、同じ次元に我が国を貶める安倍政権のこうした動きには全く賛成できない。テロを繰り広げて政権を簒奪した薩長は明治以前の日本を全否定して官軍史観を推し進め、天皇原理主義で国内を一色に染めて無謀な戦争に突っ走った。まずは負の歴史を検証して総括することが必要であり、それなしに維新150周年を国家行事として祝うべきではない。

「近代」と呼ばれる時代が世界中で行き詰まりを見せて、新たな処方箋が求められる今こそ、日本は「明治維新という過ち」を見つめ直すべきである。

■聞き手・構成/池田道大

※SAPIO2017年9月号

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