まともな知識人なら改版が出るたび『広辞苑』を読み直すはず

NEWSポストセブン / 2018年1月4日 16時0分

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20代の頃、広辞苑を通読したという呉智英氏

 長い時間がかかる辞書編纂の道のりについては、映画化やアニメ化もされた三浦しをんの小説『舟を編む』で広く知られることとなった。日本の代表的な辞書のひとつ『広辞苑』は1955年の初版から数えて62年、まもなく第七版が発売される。評論家の呉智英氏が、辞書を読むことの成果について解説する。

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 新年の一月十二日、『広辞苑』の第七版が発売される。しかし、国民的国語辞典と言われる『広辞苑』も、発行部数が長期低落傾向にある。平成期に入ってからだけでも、第四版が220万部、第五版が百万部、第六版が50万部と、改版ごとに半減している。今回の第七版も30万部に達しないかもしれない。

 確かに、若者たちが辞書を読まなくなった。『広辞苑』もどれだけの若者が読んでいるだろう、高齢世代である私だって、偉そうなことは言えない。まだ一回しか読んだことはない。まともな知識人なら、改版が出るたびに読みなおすはずだ。

 私が一回だけ『広辞苑』を読んだのは、二十代の終わりの頃だったか。読むはしから忘れていくので、やはりノートを取りながら読むべきだったと、一応読み終わってから反省した。

 それでも通読の成果が少しはあった。まず、原編者・新村出(しんむらいずる)の序文が面白かった。普通なら「上記のように」とあるはずの文が「上記のごとく」、「こうして」とあるはずの文が「かくて」、「している」という文は全く出て来ない。あ、これは現代仮名遣いが嫌なのだな、と気づいた。「上記のやうに」「かうして」「してゐる」という歴史的仮名遣いが文部省によって禁圧されていることへの抵抗が、こういう序文になった。歴史的仮名遣いで書いても現代仮名遣いで書いても全く同じになる文章にしたのである。

 本文に誤りを発見し、指摘の投書をしようとしたこともある。もしやと思って新しい刷(すり)を書店で確認すると、既に訂正してあってガッカリした。こういうものは一番槍でなければ意味がない。『新明解国語辞典』は読んだことはないが、サイズが手頃なので頻用している。その結果、「帯説(たいせつ)」という言葉も知った。他では『大言海』ぐらいでしか見たことはない。この『新明解』でも誤りをいくつか発見したが、新しい刷では既に訂正され、やはり一番槍を逸した。

 ところが、誤りを指摘した手紙を出し、次刷で訂正しますという返事ももらっているのに、なぜか今も誤りのままになっている辞書もある。『岩波新漢語辞典』だ。

 私はこの前身の『漢語辞典』で誤りに気づいた。「使」の項目に、次のようにある。

「使孔子知顔淵愈子貢則…=もし孔子、顔淵の子貢に愈(まさ)るを知らば、すなわち…〔論語〕」

 出典が『論語』とあるが、『論語』中にこの章句はない。公冶長(こうやちょう)篇に、孔子が子貢に「お前と顔淵とどちらが愈(まさ)っているか」と問う一節があり、内容は似ているけれど文章が全然ちがう。あるいは『孔子家語(こうしけご)』あたりかと見当をつけて探したが見当たらない。とにかく、この出典表示は誤りだから、指摘の手紙を出した。しかし、前述のように、返事はあっても未訂正のままだ。

 そういえば、中学生の頃、一冊本の百科事典を読んだこともあったが、この話はまた別の機会に。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。

※週刊ポスト2018年1月12・19日号

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