インドネシアが独立宣言文に日本の「皇紀」を採用した想い

NEWSポストセブン / 2018年2月10日 7時0分

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PETA(祖国防衛義勇軍)博物館前に立つ兵士像

「大東亜共栄圏」は侵略戦争の方便だったと旧連合国は主張する。自らの植民地支配を棚に上げて。だが、インドネシアの人々は、独立のために日本が本気で支援したことを今も忘れていなかった。ジャーナリストの井上和彦氏が、世界で見つけた「日本よ、ありがとう」の地をめぐる旅。台湾、フィリピンに続き、インドネシアをリポートする。

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 首都ジャカルタにある「独立宣言起草博物館」には、大東亜戦争終結後の8月17日、後の初代大統領スカルノと副大統領ハッタらが読み上げた独立宣言文の原文が掲げられている。

 インドネシアの独立を謳い上げた宣言文はもちろんインドネシア語で書かれているのだが、日付が「17-8-05」とある。なるほど独立宣言は、終戦2日後の1945年(昭和20年)8月17日だったのだから「17-8」は読み取れる。だが「05」はよくわからない。

 驚くなかれ、それはなんと日本の「皇紀2605年」のことなのである。

 同博物館は、元は前田精武官の邸宅だった。当時ジャカルタに駐在武官として赴任していた前田海軍少将は、終戦翌日の8月16日に、後の大統領スカルノと副大統領ハッタら50人の志士を邸宅に招き入れ、彼らはそこで独立宣言文を起草した。そして翌17日、スカルノ邸で、赤と白のインドネシア国旗が掲揚され、独立宣言文は高らかに読み上げられたのだ。

 同博物館にはスカルノらが独立宣言文を起草したテーブルや手書きの起草案の拡大写真など貴重な資料が展示されている。

 2014年8月16日、筆者が、69回目の独立記念日の前日にこの博物館を訪れたとき、記念日を祝う人々で賑わい、スカルノ大統領とハッタ副大統領のそっくりさんまでもが登場して盛り上がっていた。そしてインドネシア国旗にちなんだ赤いスカーフと純白の衣装を身に着けた青年たちが祝賀パレードのために整然と並び、先頭に立つ両端の2人がスカルノ大統領とハッタ副大統領の写真を胸に抱き、真ん中の女性は独立宣言文の写真を抱いていた。

 インドネシアの人々にとって独立宣言文は、愛国心とアイデンティティーの源泉といってよかろう。

 その起草の日付に皇紀を採用したインドネシア──もしも日本軍の進出と軍政が同国の人々に恨まれていたのなら、皇紀など使われなかったであろう。そう、350年におよぶオランダの過酷な植民地統治に苦しんできた人々は、日本軍を歓迎したのである。アラムシャ元第3副首相はこう述べている。

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