【鴻巣友季子氏書評】作者の強迫観念が生んだ桃源郷

NEWSポストセブン / 2018年4月27日 7時0分

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『魔法にかかった男』/ディーノ・ブッツァーティ・著

【書評】『魔法にかかった男』/ディーノ・ブッツァーティ・著/長野徹・訳/東宣出版/2200円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)

 ブッツァーティを初めて知ったのは、堀江敏幸の小説『河岸忘日抄』だった。主人公がこの作家の短編「K」(別題「コロンブレ」)を読む。ステファノという男が、死を司る海の化物「K」に追われていると思いこみ一生を過ごすと……という物語だ。明確な理由もなく漠とした予感に憑かれ、「あれがそろそろ来る」と怯え続ける心境は、さまざまな比喩として読みうるだろう。

 作者の文章には、緻密に編みこまれた寓意と暗喩の網の目がある。本短編集には、ふと誰かを見かけることに始まる編がいくつかあり、私はとても惹かれた。

「K」と似た主題をもつのは「個人的な付き添い」である。少年時の語り手は城壁の外に、ステッキを持って、自分を待っている男がいるのを見かける。見覚えがあるようだが、何者なのかわからない。その後もときおり男は現れ、やがて語り手が行く先々についてまわるようになり、いつしか語り手は男の出現を待ちわびるようになる。ステッキの男は語り手の分身なのだろうか?

 あるいは、街で見知らぬ男が突然、やあ、中学の同窓生だった〇〇だよと話しかけてくる「家の中の蛆虫」。男は次第に語り手の家庭に居着き、語り手の弱みにつけこんで家も事業も……。闖入と乗っ取りのモチーフが安部公房の戯曲「友達」や、藤子不二雄(A)の漫画「ヤドカリ一家」、もしくは現実の「尼崎連続殺人事件」なども思わせて、かなり怖い。

「エレブス自動車整備工場」は、悪魔に魂を売る「ファウスト」の主題を変奏している。あるいは、「チェーヴェレ」は、七年ごとに村に現れる、死者をいざなう黒い何者かと、その舟へ痛切に惹かれる男が登場する。「七」は、「七階」「七人の使者」など、ブッツァーティには特別(不吉)な数字だろうか。本編や表題作には、時間の不可逆性と無常には何人も勝てないという作者の強迫観念が生み出した“桃源郷”への思いが描かれる。

 そろそろ来る何かが気になるあなたのための一冊です。

※週刊ポスト2018年4月27日号

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