高校野球名将・木内氏の哲学「勝たなきゃ面白くなかっぺよ」

NEWSポストセブン / 2018年8月2日 7時0分

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名将が84年夏の奇跡を振り返る

 監督の“移籍”によって、甲子園から消えてしまった名門校がある。木内幸男が率いて6度の甲子園出場を誇った取手二高だ。1984年夏には2年生のKKコンビ(桑田真澄、清原和博)がいたPL学園を破って、茨城県に初めて優勝旗を持ち帰った。木内は直後、常総学院の監督に就任。送りバントなどの定石に縛られない“木内マジック”で名将の仲間入りを果たす。

 87歳となった木内を訪ねると、1984年の快挙について「奇跡的なことでした」と振り返った。

 木内の就任当時、女学校を前身とする取手二高は、幅60メートル、奥行き100メートルと歪なグラウンドで練習する恵まれない環境だった。1984年の優勝時には改修済みだったが、後に同校を訪れた桑田には、「このグラウンドから優勝校が出るんですか!?」と驚かれたという。木内は「あんなことは現代では起こり得ないでしょう」と続けた。

「監督と子どもたちが肩を組んで頑張れば甲子園に行ける時代じゃなくなった。関西から選手を集めてくれば、どんな学校でも勝ててしまう。茨城も、明秀学園日立が近畿から選手を集め始めたことで野球が変わった」

 全国的に私立優位の状況がある。昨年までに私立の甲子園出場がない県は徳島だけだ。

「公立は選手も集められないし、欲しい選手に試験を受けてもらっても、点数が足りなければ落っこちる。昔は入ってきた子を鍛え上げれば、全国の強豪が相手でも戦えたけど、いまは名門に行く選手は素材からして違う。だから部活動のできる2年半じゃ追いつけないんですよ」

 私立全盛時代を見越したかのように、木内は私立常総学院の監督となり、80歳まで監督業を続けた。茨城出身の選手を揃え、2003年にはダルビッシュ有を擁する東北を破って2度目の夏日本一を達成。通算勝利数は40を数える。

「オレは野球を通じて人を作ってきたつもり。選手には『勝たなきゃ面白くなかっペよ』と言い続けてきた。茨城の子しか預かったことがないからよかったけど、県外の選手なら茨城弁が通用しねえからダメだったっぺ」

 栄光を収めた写真や県民栄誉賞の賞状に囲まれた自宅のリビングで、米寿を目前としても木内節は現役だった。(文中敬称略)

●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園』著者)

※週刊ポスト2018年8月10日号

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