アラン・ドロンが日本のTVに出演、実現までの舞台裏は?

NEWSポストセブン / 2018年9月22日 7時0分

「私が10代の頃、映画は映画館で見るものでした。封切館とは別に名画座があった時代です。そんなとき、ふとしたことで見た『冒険者たち』に魅了され、アラン・ドロンを知りました」
 
 同年代の女性たちがみなそうであったように、彼女も「国宝級、いえ、世界遺産ともいってもいい美貌の虜になりました。当時、ドロンを好きではない女性がいたでしょうか?」と言っていた。

 当時、日本はグループサウンズ(GS)ブームでもあり、私のクラスメイトは、、沢田研二がいるザ・タイガースと、萩原健一がいるザ・テンプターズを支持するグループと、それとは別に加山雄三をこよなく愛するグループがあったと記憶する。

 洋楽では、お姉さんがいる友達が推すザ・ビートルズと、アイドル的存在のザ・モンキーズがいて、いまから思えば比較するのは不自然なのだが、当時は、大きく分けて2つの派閥があった。
 
 だが、洋画のスターでは、アラン・ドロンがぶっちぎりの1位であり、別格だったのである。

 そんなアラン・ドロンが一昨年80才となり、「お元気なうちに会えないものか、映画の話やこれまでの人生について話を聞けないものかという、衝動に似た思いで企画を立ち上げた」と件の女性プロデューサー。
 
 エージェントに手紙をしたためたり、電話連絡をすること半年。彼女の想いはアラン・ドロンに通じ、そこから改めてテレビ局へ提出する企画書を書き上げたのだという。当初、テレビ局のスタッフも「本当に出てくれるの?」と半信半疑だったそうだが、交渉はさらに具現化していき、構想2年、ついにパリでの本人取材が叶ったのだという。

 実はそれまでに2度、先方からリスケがあったそうだが、「大スターとは、そういうものか」とスタッフ一同納得したそうだ。2度、キャンセルに遭った理由を、件の女性プロデューサーは次のように分析している。

「彼は超がつくほどの完璧主義者だと思うのです。『太陽がいっぱい』に出演したとき、彼を押し上げた多くの日本のファンのために、最高のコンディションでカメラの前に立ちたかったのだと思います」と。そんな彼女は、今年1月、パリの高級ホテルの一室でついにアラン・ドロンと対面した。ちなみにそこは、パリ郊外に住むアラン・ドロンが定宿としているホテルだそうで、御指定だったそうだ。

 衣装は「タキシードを着崩したようなスタイル」で、そこにいた女性スタッフ全員が思わず歓声をあげてしまいそうになるほど、それはそれは素敵な出で立ちだったという。緊張のあまり言葉を失う彼女に対し、彼は「ぼくに気を使ってはいけない。お互い、プロフェッショナルとして、いい番組を作ろう」と言ってくれたのだという。

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