偏差値高い学生ほど自分の考え伝える言葉を持たぬとの指摘

NEWSポストセブン / 2012年1月4日 7時0分

いつまでたってもなくなることのない政治家や役人の失言。元セゾングループ代表(堤清二として)の詩人・作家の辻井喬氏(84)が、それら失言の裏に潜む大量消費文明の影響を「言わずに死ねるか!」と指摘する。

* * *
言葉や言語は、その人の思考を規定するうえでとても重要なものです。古来、日本には美しい日本語があったはずなのに、最近はあまりにも無神経で心ない言葉の使い方をする人が多くなりました。特にひどいのが国を司る政治家や役人の言葉。

米軍普天間飛行場移設に関する問題では、沖縄防衛局の田中聡局長が、評価書の提出期限を巡って「(女性を)犯す前にこれから犯しますよというか」と答えて更迭されました。

また、東日本大震災後に石原都知事が「大震災は天罰」「津波で我欲を洗い落とせ」と発言して慌てて謝罪する一幕もありました。

いずれの発言も日頃の潜在的な精神構造が無意識に言葉となって出たもので、救いがたいと断じてしまえばそれまでですが、言葉は、単に文学や伝統という枠を超えて、社会を考えるうえでも馬鹿にならない問題なのです。

関東大震災後の国づくりで、時の大正天皇は「国民精神強化振興の詔書」を発布し、国民の軽佻浮薄を諫めました。田中氏や石原氏の発言を聞いていると、民は豊かになってはいけないという明治時代から続いた富国強兵時代のロジックと何ら変わらない。これはとんでもない誤りだと思うのです。

こうした発言が発せられてしまう風土がいまだに残っているのはなぜなのか。1945年の敗戦から1950年代の中頃まで、日本人は「ぜいたくは敵だ」という政治スローガンの下に、長らく消費鎖国に陥っていました。それが1960年代に入ると、「とにかく豊かになろう」と一大消費社会へと舵を切り、海外の有名ブランドや消費財の数々が日本へ流入するようになりました。

当時、私も西武百貨店の文化事業や海外進出の命を受け、アメリカやヨーロッパ諸国を視察し、それまで見たことも聴いたこともない現代絵画や音楽に触れ、自分自身も鎖国状態だったことを思い知らされました。

しかしその一方で、高度成長期を経て国民の生活がリッチになっても、精神的な豊かさは享受できていないのでは、という矛盾も常に感じていました。ハンドバッグはエルメス、財布はヴィトン……、と言いながら、すべてを貨幣価値に換算する習慣が、日本人の道徳的価値観さえも失わせているのではないかと。

確かにGDP至上主義を貫いた結果、日本はアメリカに次ぐ世界2位の経済大国までのし上がりましたが、経済的な豊かさと人間としての豊かさとは、関係こそあれ別のものだということに気付き始めていたのです。

  • 前のページ
    • 1
    • 2
  • 次のページ
NEWSポストセブン

トピックスRSS

ランキング