親日を巡る旅──日本兵は強かったと語り継ぐガダルカナル島

NEWSポストセブン / 2018年12月15日 7時0分

バラナ村には今も多くの日本軍将兵の遺品が展示されている

 太平洋戦争のなかでも有数の激戦地、ガダルカナル島。多くの犠牲者を出した同島での戦いを現地の人々はいまも語り継いでいた。世界の親日を巡る旅を続けるジャーナリストの井上和彦氏がレポートする。

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 南太平洋メラネシアに位置する島嶼国「ソロモン諸島」のガダルカナル島──首都ホニアラを置くこの島の名は、大東亜戦争の象徴のごとく、いまでも日本人の記憶に深く刻まれている。

 1942年(昭和17年)7月6日に、海軍設営隊が上陸してルンガ飛行場(現在のホニアラ国際空港)を設営したのが戦いの始まりであった。

 日本軍の動きを察知した米軍は、翌月の8月7日に1万1000人からなる第一海兵師団を送り込んで飛行場を奪取する。その後、飛行場を奪還すべく日本軍は兵力の逐次投入を続けたが、圧倒的物量を誇る米軍を前に劣勢を挽回できず、犠牲者は増える一方だった。

 以後、1943年(昭和18年)2月7日にタンベア海岸から撤退が完了するまでに2万2000人の日本軍将兵が戦死した。その内の1万5000人が戦病死や餓死だったことは痛恨の極みである。

 補給が重要視されなかったこの戦いでは、前線の兵士たちは食糧もないまま戦い続け、弱った体にマラリアなどの疫病が追い打ちをかけ、数多の将兵が斃れていったのだった。  それゆえに、ガダルカナル島には、「飢餓」の「餓」の文字が充てられ「餓島」と呼ばれた。

 そんなガダルカナルには、島内各地に数多くの慰霊碑が建立されている。

 大激戦地アウステン山に造られた「日本平和慰霊公苑」には、ソロモン諸島最大の戦没者慰霊碑があり、同国に慰霊に訪れる日本人は必ず行くという。そこからは、日本海軍と米海軍が三次にわたって死闘を繰り広げたソロモン海を一望できる。

 この海域には、夥しい数の両軍艦艇が沈没しており、主戦場となった島の北西海上に浮かぶサボ島周辺海域はそれゆえに「アイアンボトム・サウンド」(鉄底海峡)と呼ばれている。

 黙祷──日米両軍の将兵に哀悼の誠を捧げた。

◆いまも残る戦没者の遺骨

 米軍の手に陥ちた飛行場を奪還せんと送り込まれた一木清直大佐率いる一木支隊900名が玉砕した海岸付近には「一木支隊奮戰之地」と刻まれた立派な慰霊碑が建立されている。

 突撃を敢行した一木支隊は待ち伏せしていた米軍の猛烈な砲火に阻まれてイル川を渡河できなかった。河口付近は当時の写真のままであり、目をつむれば寄せ来る波と共に一木支隊の鬨の声が聞こえてきそうだ。

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