オウム死刑囚・井上嘉浩 獄中記と「死後に届いた手紙」

NEWSポストセブン / 2018年12月20日 11時0分

◆蘇った“魂の叫び”

 私は、このほど『オウム死刑囚 魂の遍歴』(PHP研究所)を上梓した。副題は、「井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり」である。嘉浩が獄中で書いたおよそ五千枚の手記をもとにしたノンフィクションだ。嘉浩本人がこの二十年余り、父親を通してずっと私に送り続けたものである。

 手記には、子供の頃の思い出、中高時代の体験、オウムとの出会い、過酷な修行、死刑囚となる犯罪……すべてがその折々の心情を振り返りながら記されている。嘉浩は、「手記を書くのは、本当に辛い。愚かにも誤った道に突き進んでいった自分を思い出していくからです。後悔と悲しみが募ります」と書いている。つまり、獄中記は嘉浩の“魂の叫び”そのものなのだ。

 オウム死刑囚十三人の内、嘉浩は唯一、一審が「無期懲役」、二審以降が「死刑」と、天と地ほども違う二つの判決を受けた元幹部だ。嘉浩が関わった假谷さん拉致事件(*1)が一審では「逮捕監禁」、二審以降は「逮捕監禁致死」、地下鉄サリン事件では、一審が「後方支援、連絡調整役」、二審以降は「総合調整役」とされたからだ。嘉浩には直接、手を下した殺人はなく、肝心な時に、その犯罪から「逃げていたこと」が一審の審理で明らかになった。

【*1/1995年、オウム真理教が目黒公証役場事務長だった假谷清志さん(当時68歳)をワゴン車に押し込んで拉致し、山梨県の教団施設で監禁して死なせた事件】

 ひとつひとつの犯罪をすべて浮き彫りにしていった四年三か月に亘った審理は、傍聴席からも見応えのあるものだった。だが、一審の無期をひっくり返した二審は、新たな証拠もないまま、ただ、オウムの幹部は「死刑でなければならない」という世論に迎合した感は否めなかった。

 私は、二〇〇九年から一〇年にかけて、嘉浩と計四度面会をしている。すでに嘉浩の獄中記の前半部分は読んでおり、裁判で長くその姿を見ていたこともあり、初対面なのに“旧知”のような思いで面会したことを覚えている。面会室で向き合った嘉浩は三十九歳となっていたのに爽やかな“青年”だった。嘉浩本人も父親から私のことはいつも聞いていたようで、お互いがそんな感覚で話し合った。

 四度の面会で印象深かったのは、嘉浩が「すべての罪はわが身にあります」と、くり返し語っていたことだ。高校時代からの神秘体験、覚醒に至るまでに自分の身体に生じた不思議な現象……さまざまな過程を経て、麻原彰晃の強固な弟子となった嘉浩は、修行の天才、神通並びなき者、と称され、およそ千人に及ぶ信者を獲得したとされる。

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