オウム死刑囚・井上嘉浩 獄中記と「死後に届いた手紙」

NEWSポストセブン / 2018年12月20日 11時0分

 手紙に封はされていなかった。拘置所の検閲を経なければ、嘉浩たちには手紙類を出すことは許されていない。そのため封筒の口は開いていた。

 三七日でお経を上げに来た君代に差し出された手紙。消印の捺されていない自分宛ての封書である。見慣れた「嘉浩さん」の字だった。震える手で、君代は、便箋を取り出した。

〈君代さんへ

 前略 先週は面会と差し入れ、ありがとうございました。とても元気を与えていただきました〉

 そんな言葉で、手紙は始まっていた。死刑執行の前の週、君代は六月二十七、二十八、二十九日と三日連続で嘉浩に面会に行っていた。二十八日には、コンサートでもらった花束を嘉浩に見てもらおうと、色とりどりの豪華な薔薇の花束を抱えていった。拘置所では花を見ることもできないだろう、という思いやりからだった。嘉浩はその花束を見て本当に喜んでくれた。

 よほど嬉しかったに違いない。面会の間、嘉浩は「元気をもらった」と何度も言っていた。手紙にもそう書いている。だが、君代の目から涙があふれ出たのは、その次のくだりである。

〈かなり雨が降っています。大丈夫ですか? くれぐれも身心を大切にして下さい。

 7月7日、七夕ですね。いのちの大空に、七夕の星々が輝いています。いのちの大空の下、いつも一緒です。

 ありがとう ありがとう

 大丈夫 大丈夫

 いつも待っています。

 2018・7・5 嘉浩〉

 手紙には、そう書かれていたのだ。

〈7月7日、七夕〉とは、自分が導師を務めて、嘉浩の通夜を営んだその夜のことだ。それにつづいて、嘉浩は、〈いのちの大空に、七夕の星々が 輝いています〉と記し、〈いのちの大空の下、いつも一緒です〉と君代に語りかけていた。

 しかも〈いのちの大空〉という言葉を二回使っている。そして〈ありがとう ありがとう〉、さらには〈大丈夫 大丈夫〉と語っている。

 今生のお礼としか思えない〈ありがとう〉を記し、その後の打ちひしがれている自分を見越したかのように〈大丈夫 大丈夫〉と励ましてくれているのである。

 君代は、嘉浩がすべてをお見通しであったことを感じた。その上で「どうして、あなたは、そこまで人のことを思いやれるの?」と思った。やり尽くした償いと、それで培ったに違いない類いまれな人としての優しさ。死ぬまで罪と向き合い、犠牲者のことを考えつづけた二十三年の嘉浩の凄まじい獄中生活に、君代は涙の中で思いを馳せていた。

 真実は、法務省の手で闇に葬られ、オウム事件はこうして「歴史」となったのである。

※週刊ポスト2019年1月1・4日号

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