大阪が熱心な阪神ファンの都と化したのはさほど昔ではない

NEWSポストセブン / 2019年1月5日 16時0分

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いつから熱狂的になったのか?(共同通信社)

 阪神タイガースの本拠地は兵庫県の阪神甲子園球場なのに、なぜ、大阪人は阪神ファンというイメージが強いのだろうか。11月に『大阪的』(幻冬舎新書)を上梓した国際日本文化研究センター教授の井上章一氏は、テレビが大阪人といえば「陽気でおもろいおばはん」のイメージを作り上げたと指摘する。それと同様に、大阪人=阪神ファンのイメージも、メディアが創り出したものだと解説する。

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 メディアの影響といえばもうひとつ、大阪人=阪神ファン、あるいはアンチ読売のイメージを作り上げたことも無視できません。

 プロ野球が2リーグ制になって以降、阪神が初めて優勝したのは1962年。広島を相手に、ホームグラウンドで勝利を掴みました。この時、甲子園球場は満員のファンで沸いたか、といえば、そんなことはない。観客動員は2万人前後で、外野席はガラガラでした。

 一方、同じ年の阪神-読売戦は、4万人以上を集めて満員となっている。優勝決定戦よりも読売戦が客を集めた理由は、ひとつ。多くは読売ファンだったからです。私の周りも読売贔屓のほうがずっと多かった。

 いつから大阪は“熱烈な阪神ファンの都”と化したのか。

 これは神戸に本社を置くサンテレビの力が大きかった。1960年代の民放は、読売戦以外の放送をほとんどしていなかったのですが、ここにサンテレビが1969年から阪神戦の完全中継に乗り出したことで、関西人の野球観が変わった。当時、阪神球団が求めた放送権料が、小さな地方局でも買い取れるほど安かったことも、大きな理由でしょう。

 そして1971年、朝日放送の人気ラジオ番組『おはようパーソナリティ』が、在阪人の阪神推しを決定づけます。番組を担当するアナウンサーの中村鋭一が、熱烈な阪神ファンだったのです。公平性も中立性もかなぐり捨てて、彼が阪神に声援を送り続けた結果、リスナーの多くは阪神に傾斜していった。

 ふたつの地方局によって、阪神を後押しする風潮が作られていったのです。

※週刊ポスト2019年1月11日号

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