巨人×中日「10・8決戦」の裏側、高木守道氏の述懐と後悔

NEWSポストセブン / 2019年1月22日 7時0分

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「国民的行事」とまで言われた(時事通信フォト)

 平成6年(1994年)10月8日。平成の名勝負として語り継がれる、優勝がかかった巨人vs中日戦が行なわれた。同試合について、当時、中日の監督だった高木守道氏が振り返った。

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 巨人の長嶋茂雄監督が「国民的行事」と称した「10・8決戦」。私は中日の監督として巨人と対戦しました。このシーズン、前半は巨人に大きく引き離されましたが、後半に中日が猛追。最終戦を残して同率首位となり、勝ったほうが優勝という試合になりました。

 私は3年契約の最終年でした。7月の時点で解任報道が出ていたし、次の監督は星野仙一ということも決まっていた。だから最後までしっかりやろうという気持ちは強かったですね。コーチ陣にも「最後まで頑張ろう」と話したし、普段は願掛けなどしたこともないのに、この時は「有終の美を飾らせてほしい。見守っていてほしい」と何度も仏壇の親父やおふくろに手を合わせました。

 戦前予想は中日有利でした。というのは、巨人キラーの今中慎二が先発することになっていたからです。我々中日ベンチは今中にすべてを賭けて、マウンドに送り出しました。

 ところが巨人はその今中を徹底的に研究していました(今中は4回5失点で降板)。あとで聞いた話ですが、この試合までに行なわれた巨人のミーティングの回数はすごかったそうです。それに試合が始まると、槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の先発三本柱をリレーさせるオールスターゲームのような継投をしてきました。ここ一番に賭ける思いの強さを感じました。

 一方の中日は、これは偏に私の経験のなさが原因ですが、正直言って巨人に比べれば「これは130分の1ではない特別な試合なのだ」という認識に欠けていたと思います。若い選手を使って足を絡める、シーズン中通りの野球をしようと思いましたが、球場は異様な空気に包まれており、若い選手たちは緊張のあまりいつもの野球ができませんでした。結局、3対6で中日は敗れました。

 試合後、私は契約通り辞めるつもりでした。ですが選手たちが「もう1年やりましょうよ」と言ってくれた。それに球団からも後半戦の好成績が評価され、翌年も続投になったんです。私も野球が好きだから、もう1年やろうとユニフォームを着ました。でも結果は成績不振で、翌年6月に途中解任。あの時でスパッと辞めておいたら、もう少し格好よかったかなあ、と反省しています(笑い)。

※週刊ポスト2019年2月1日号

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