中国「太子党」実は存在不明 存在証明できる新聞は皆無と識者

NEWSポストセブン / 2012年3月26日 16時0分

 中国の幹部子弟の集まりとされる「太子党」。日本の新聞は、その動向を追うのが大好きだが、ジャーナリストの富坂聰氏によれば、実は中国に「太子党」というグループがあるのかどうかは不明なのだという。新聞は、毎日の出稿のために便利だから使い続けているに過ぎず、日本に当てはめて考えたとき「安部」「福田」「麻生」そして「鳩山」と続いた総理を見て、彼らを「太子党」とひとくくりにするほど乱暴な分析なのだという。以下は、富坂氏の解説だ。

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 中国ではいま、薄煕来重慶市党委員会書記(=書記)の解任と、それに絡んだ権力闘争の話題で持ちきりだ。

 今秋、権力交代期を迎える中国で、その台風の目が薄であることは私自身もさまざまな媒体で書いてきた。その裏に政治権力が絡んでいることも見立てとして間違いない。

 だが、腑に落ちないのは新聞各紙がこれを、習近平を中心とした幹部子弟の二世政治家グループである「太子党」VS胡錦濤を中心とした「共青団(共産主義青年団=団派)」の戦いとして描いていることだ。中国の権力闘争は伝統的に二つの派閥の対立から描かれることが多いが、その見立てが後に現実となったことはほとんどない。というよりも少なくとも私は聞いたことがない。

 かつての江沢民閥――上海から中央入りした者が多かったことから上海閥ともいわれた――と団派との確執もそうだが、具体的に両派がどんな問題で何のために争い、その結果どういう結末を招いたのか。その道筋がきちんと示されたことはないのである。

 2006年に起きた陳良宇事件が「上海閥」VS「団派」の一例とされているのも嘘だ。この事件の全貌は私が最も早く最も詳しく日本で報じ、後にまったく同じ内容を中国の雑誌『財経』が裁判内容をもとに再現しているから分かるが、原因は胡錦濤が禁じた年金基金の流用をしたからであって、陳自身が公然と中央に対し弓を引いたことに対する指導部の制裁という構図だ。

 仮に、江沢民の地盤とされる上海の書記を江自身が守れなかったのが団派による上海派の追い落としにつながったとするのならば、その後の江沢民の求心力が目に見えて低下するはずだが、そんな現象もない。それどころか団派が攻勢を仕掛けたために空席になった上海書記に抜擢された習近平を、今度はメディアが一斉に上海閥のメンバーとして扱い、その理由を江沢民の影響下の上海書記にはそれでなくては就くことはかなわないのだと解説するのだから意味不明だ。

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