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「4代続けて全員東大」鳩山家の教育方針

プレジデントオンライン / 2013年7月28日 10時15分

※□印は東大卒。敬称略。鳩山会館ホームページなどをもとに編集部作成。

父も祖父も曾祖父も東大卒。そして1つ違いの兄も東大に入学したら、弟はどんな気持ちになるのか? 「男だったら東大が当たり前」の家庭に生まれ育った政治家・鳩山邦夫氏が、自ら経験した一族の教育方針について語る。

■高校に入るまでかたくなに守った「勉強は夕食前まで」

東京都文京区の高台に立つ豪壮な洋館――「音羽御殿」と呼ばれる館の主が鳩山ファミリーだ。なかでも有名なのは、戦後、吉田茂首相のあと、自由民主党初代総裁として宰相の座についた鳩山一郎氏だろう。

その長男が、1970年代に大蔵事務次官から参議院議員になり、外務大臣を務めた威一郎氏。彼の子息が、民主党政権発足時に総理大臣となった由紀夫氏と、文部・法務大臣等を歴任した現衆議院議員の邦夫氏。

こうした政治の世界における一族の華々しい経歴もさることながら、それ以上に特筆すべきなのが、学歴のすごさである。一郎氏の父・和夫氏から数えると、邦夫氏まで4代続けて東大に進学しているのだ。

「私の曾祖母で共立女子学園を創立したことで知られる春子は、非常に進取の気性に富んだ女性でした。毎朝、息子の一郎や秀夫を午前3時すぎにたたき起こし、自ら先生となってみっちり勉強させたといいます。これが“鳩山春子のスパルタ式教育法”として伝わっているのです」

こう話す邦夫氏だが、自分自身は、むしろ伸び伸びと育てられた。どうやら、祖父母の一郎氏と薫さん夫婦は、春子さんの教育法への反動で、自由放任主義をとったらしい。それは、父の威一郎氏とブリヂストンを創業した石橋家から嫁いできた母・安子さんにも受け継がれた。

鳩山邦夫
1948年生まれ。東京大学法学部政治学科、同大学法学部公法学科卒業。田中角栄元総理大臣秘書などを経て、76年に衆議院議員選挙に出馬し初当選、以来12選を果たす。

邦夫氏は「私は生来の勉強嫌い。庭の片隅でナスやピーマンを栽培したり、いまも趣味にしている蝶(ちょう)を追いかけて遊んでいました。勉強というのは“自己責任”ということが徹底されていたのです」と振り返る。

そんな邦夫氏だが、たった一度だけ母から「勉強しなさい!」と叱られたことがある。学習院初等科中学年のころに社会のミニテストがあった。それがひどい点数だったらしく「とにかく机に向かって、教科書を読みなさい!」と注意されたのだ。

「もともと算数の計算は得意でクラスで1番。国語も小2のときに『原色日本蝶類図鑑』を買ってもらい、説明文を周囲の大人に読んでもらっていたので、飛翔(ひしょう)とか美麗、垂涎(すいぜん)などという難しい漢字の読み方も意味も知っていました。ただ、暗記モノはヤル気がなかったので苦手でした」

そこで邦夫氏は、社会科の教科書を開き、試しに数年後に開通を控えていた東海道新幹線の東京~新大阪間の所要時間やインドネシアの島々の名前を覚えた。すると、ミニテストにその問題が出て、簡単に100点が取れた。邦夫氏は「なるほど、勉強すれば満点が取れるのだな」と、勉強の効用に気づいたという。

こうしてみると、鳩山家のお母さんたちは、いずれも子供の教育に熱心だったことがわかる。子供たちの優秀さは、彼女たちの賢母ぶりに負うところが少なくないといっていい。

とはいえ、邦夫氏には頑固な一面もあった。周囲の雰囲気から「小3のころには東大に行くのは当然」と思っていたものの、中等科卒業までは、夕食後は勉強を一切しないで、プロ野球のナイター中継を見たりして過ごすことを日課にしていた。その理由は、中等科時代の恩師から「勉強なんて晩飯前に終え、学校の定期試験はお茶の子さいさいでいい点を取るくらいでないと、東大合格などおぼつかない」との言葉を金科玉条のごとく守ったからだ。

■数学の難問は、教師になったつもりで黒板に書きながら解く

鳩山ファミリーが暮らした「音羽御殿」。現在は鳩山会館として一般に公開されている。

高校は学習院高等科ではなく、東京教育大学附属高校(現筑波大学附属高校)に進む。ここから邦夫氏は、いくつもの“秀才伝説”を残していく。高校3年時は校内模擬試験が3回あり、1、2回は1位。が、3回目は3位に落ちてしまう。邦夫氏は奮起一番、入試直前の駿台予備校の全国模試を受けてトップに輝く。

邦夫氏は「確かに、駿台模試の全国トップは、狙っただけに自分にとっての記念品。浪人生ではなく現役生がトップを取ったのは初めてではないでしょうか。でも、教育大附属はガリ勉を好まない気風の学校でしたから、私は通学途中の駅近くでパチンコをよくしていました」と笑う。

もちろん、これほどの成績は、名門・鳩山家の血筋という遺伝的な資質だけで達成できるものではないはずだ。能力や才能を開花させるための努力と精進が不可欠になってくる。

「例えば数学の問題なら、1メートル×2メートルくらいの黒板を買ってもらって勉強部屋に置き、自分が教師になったつもりで声を出しながら解いていきました。すると、机の前では歯が立たなかった難問がフッとひらめいて解けるようになる。また、『徒然草』や『源氏物語』などの古文は、現代語訳だけ読んで原文は見ません。こうやって全体をつかんでおけば、どこが試験に出ても大丈夫でした」

現在、邦夫氏と元タレントのエミリさん夫婦には2男1女がいる。長男の太郎氏は学習院、長女の華子さんは慶應、次男の二郎氏は青山学院の各大学の付属で学んだ。その後、大学は順に早稲田、慶應、杏林と、父親とは異なる学校に進んだ。

「私は子供たちに一度も東大を目指せと言ったことがありません。勉強して東大へ行けたらいいとは思いましたけどね。それも自己責任。心の内では孫にはと期待をしていますが、娘(華子さん)は海外の大学に行かせたいと言っていますよ」。邦夫氏はそう言って目を細めた。

(ジャーナリスト 岡村 繁雄 遠藤素子=撮影 鳩山会館=写真協力)

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