なぜ「エリート脳」は危機に弱いのか【1】
プレジデントオンライン / 2013年9月18日 13時45分
東日本大震災から約1週間後、僕はドイツの「シュテルン」という雑誌の取材を受けました。そのときのドイツ人記者が、「有事に強い日本人」に驚いていた姿が印象的でした。マグニチュード9の大地震、それに続く津波による甚大な被害、さらに原発事故も起こっているというのに、日本人はパニックに陥ることもなく、物資を待つ列にも整然と並んでいる。その冷静で秩序だった行動の背景にはどのような精神が潜んでいるのか、彼らはそれを知りたがっていました。
日本人はピンチに強い。このことについて、日本人はもっと自信を持っていいと思います。昔から日本は天災の多い国でした。三陸地方に限らず、江戸時代の東京も地震や大火により市中が何度も焼け落ちている。でもその度に人々は再び立ち上がり街を立て直してきたのです。どんなに人事を尽くして準備しても、それを超える自然災害は必ず起きる。
この感覚は日本人の中にミーム(文化的遺伝子)として組み込まれています。
僕はドイツ人記者にこう説明しました。ドイツのケルン大聖堂は何百年もかけてつくりあげたものだが、それは比較的天災が少ない国だからできることなのだと。同じことは日本にはできない。日本は努力して築きあげたものが天災により一瞬にして破壊される経験をあまりに持ちすぎている。そのような国では、伊勢神宮のように20年ごとに遷宮する感覚がデフォルト(標準、通常の意)になるのだと。
実際、それが我々日本人の弱みでもあり、強みでもあるのです。
震災のあった11年3月11日、思い起こせば国会では菅直人首相が外国人による政治資金問題で追及され、「辞任直前」の窮地に立たされていました。このときまでの日本は、ルールやコンプライアンスに異常に敏感な国でした。小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏の政治資金問題しかり、京大のカンニング事件しかり、大相撲の八百長事件しかり。マスメディアはこぞって「ルールに反しているか否か」にこだわってきたのです。僕が「学級委員的精神構造」と呼ぶその風潮は、3月11日を境に一気にリセットされました。
たとえば今回の震災では、被災地の瓦礫の処分をどうするかという問題もありました。通常のルールからすれば、柱1本にも所有権は発生しますが、それを優先すれば復興にはとてつもない時間がかかってしまう。あるいは大学も、これまでは文部科学省の定めた厳密な年間授業日数を守るため祝日でも授業をしてきたのに、今回次々と授業開始日をずらす大学が続出しましたよね。
日本人の面白いところは、普段ルールやコンプライアンス重視と騒いでいるわりに、いざとなったらあっさりそれを撤回してしまうところです。この切り替わりの速さは、脳の働きからみると非常に面白い現象です。人間は、脳内の眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)というところで文脈の切り替えを行っています。普通はそのスイッチがなかなか入らないのですが、1度スイッチが入るとそれまでの文脈を切り替えて別の発想をすることができる。
この文脈切り替えを瞬時にできるということが、「ピンチに強い脳」を生み出す秘訣で、どうやら日本人はその能力に長けているようです。
科学の世界には、emergence(創発)という重要なキーワードがあります。これはemergency(危機)という言葉と非常に似ていますが、本来の意味は全く異なるものです。ところがこの2語は、ピンチにおいてはとても関係性の深い言葉でもあるんです。人生におけるspiritual emergency(魂の危機)とは、これまでの価値観が根底から覆されるような危機のことを指しますが、実はそのようなときにこそ人間は1番変われるからです。
今まさに、日本はspiritual emergencyを迎えています。被災地はもちろん、震源地から離れた東京でも、震災以来皆がピリピリしながら過ごしている。地震や津波といった天災以上に人々の心に重くのしかかってきているのは、原発の問題です。
今回の原発事故は、日本という国家システムの脆弱性を浮き彫りにしました。首都、東京が依って立つところの福島原発、この日本の政治経済基盤を支えてきた電力供給システムが、「想定外」の規模だったとはいえ、たった一瞬の地震によって壊滅的な打撃をうけたのです。
そもそも優れたシステムとは、リスク分散型であるはずです。どこかが使い物にならなくなっても、ほかで補えるようバックアップを万全にしておくもの。それなのに、原子力発電所に何かあった場合のサブ電源が、津波が来たら一緒にやられてしまう場所に置いてあったなど、本来あってはならないことです。
このようなシステムを構築してきた東京電力、それを推してきた政府。あらゆることを含め、現在の方法を今後も継続していくべきなのか、国民は改めて疑問を抱き始めています。
ただ、科学の理屈からいえば、この未曽有の危機は、実は国のシステムを変えるチャンスでもあります。
ピンチをチャンスに変えるために必要なことがあります。それは過去の自分を捨てる勇気です。「ピンチに強い人」とは、「目の前に起こっている変化に適応できる人」のこと。過去の自分の成功を否定することも厭わず、文脈を切り替えることができる人のことです。一方、「ピンチに弱い人」とは、「過去の延長線上にしか生きられない人」を指します。
ピンチとは「通常のルールが適応できない状況」のことです。今までのやり方では対処できない事態だからこそ、何かを創発しなくてはならないわけですが、そのような世界では必ずしも「過去こうだったから、これからもこうだろう」という甘い推量は役に立ちません。過去の延長線上に答えは見つからないのです。
本来、僕たちはみな、子どもの頃には「ピンチに強い脳」を持っていたはずです。経験の少ない子どもにとっては出合う局面すべてが初めてのことばかり。周囲の状況に対応するためなら使える手は何でも使い、自分自身もどんどん変化していっていたのです。
しかし残念ながら、成長とともにその潜在能力は錆ついていきます。積み重ねてきた経験知で巡航飛行できるようになり、大学卒業後に就職したら、「これでもうひと安心」と胡坐をかいて、そのまま変わらない人もいます。
保守的な生き方でも平時はいいのです。大きな失点さえなければ、つつがない人生も送れて万事OKかもしれません。でも、いざ「想定外」の事態が迫ったとき、そのようなフラットな人生しか経験していない人は対処に苦しみます。
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1962年、東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院連携教授。『ピンチに勝てる脳』『脳と仮想』『セレンディピティの時代』など著書多数。
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(脳科学者 茂木 健一郎 構成=三浦愛美 撮影=奥谷 仁)
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