エネルギー強靱化の秘密兵器は「水素」にあり
プレジデントオンライン / 2014年3月10日 16時15分
■日本企業2社がリードする事業化プラン
わが国のエネルギー戦略をめぐっては、2011年3月の東京電力・福島第一原子力発電所の事故を契機にして、さまざまな検討が重ねられてきた。そこで主として取り上げられたのは原子力と再生可能エネルギーであり、ガス・石炭・石油などの化石燃料についても、ある程度の検証が行われた。しかし、これらの議論は、一つのエネルギーを置き忘れたままであるかのように見える。長いあいだ、「遠い未来のエネルギー」とみなされてきた水素が、それである。
エネルギーとしての水素利用をめぐっては、急速に事業化プランが具体化しつつある。その先頭を切っているのは、千代田化工建設と川崎重工業の日本企業2社である。今回は、日本のエネルギー戦略の「秘密兵器」ともいえる、これら両社の水素事業化プランを紹介することにしよう。
13年8月、横浜市にある千代田化工建設の子安オフィス・リサーチパークを訪れ、同社が事業化をめざしている大量水素輸送技術の実証装置を見学する機会があった。この実証装置は、油田・ガス田や炭鉱の近くに設置される水素化プラントと、日本などの水素消費国に設置される脱水素プラントの2つの部分からなっている。図1にある通り、原油・天然ガス・石炭から取り出した水素(H2)を水素化プラントでトルエンと反応させて運びやすいMCH(メチルシクロヘキサン、常温・常圧では液体)に変え、それを日本などに運んで脱水素プラントにかけて水素にもどし利用する(その際、脱水素プラントで水素から分離されたトルエンは、水素化プラントへ移されて再利用される)という構想である。
この構想のポイントは、MCH化することで「運びやすい水素」「貯めやすい水素」を実現した点にあり、この「使いやすい水素」を千代田化工建設は、「SPERA(スペラ)水素」と名づけている。SPERAとは、ラテン語で「希望せよ」という意味をもつ言葉だそうだ。「SPERA水素」は、たとえばペットボトル状の容器に入れることも可能であり、使い勝手がいい「SPERA水素」が普及すれば、水素を活用したいという人類の希望は、文字通りかなうことになる。
「SPERA水素」による水素サプライチェーン構想を支えているのは、千代田化工建設が成し遂げた2つの技術革新だ。1つは、水素をガソリンの主要成分であるトルエンに固定することによって常温・常圧で取り扱いやすいMCHに変える、有機ケミカルハイドライド(OCH)法。そしてもう1つは、MCHから水素を取り出す際に必要な脱水素触媒を、ナノテクノロジー技術を駆使して開発したことである。
■「SPERA水素」構想における最大の問題点とは
千代田化工建設は、OCH法による水素のMCH化を、第1ステップとして、産油国・産ガス国・産炭国の水素製造プラントと結びつけて実施しようとしている。その場合には、油田・ガス田・炭鉱で水素改質時に発生する二酸化炭素(CO2)をその場で回収し、貯留する(いわゆるCCS、二酸化炭素回収貯留)ことにより、二酸化炭素排出量を大幅に削減することが可能になる。また、油田においては、回収した二酸化炭素を注入することによって、残留原油の増進回収(いわゆるEOR)を行って、石油の増産につなげることもできる。
千代田化工建設が水素のMCH化の第2ステップとしてめざしているのは、風力発電・太陽光発電などで得た電気を用いて水の電気分解を行い、そこで製造した水素を「SPERA水素」として活用することである。風力発電や太陽光発電は、ほとんど二酸化炭素を排出しない電源として、地球温暖化対策の切り札的存在であるが、送電線を新たに敷設しなければならないケースが多く、それがコスト高につながって普及を遅らせているという泣きどころをもつ。
これに対して、上手に仕組みをつくり上げることができれば、「SPERA水素」は、送電線に代わって、エネルギーを運搬する役割をはたすことになる。「SPERA水素」は、風力発電や太陽光発電の普及を促進するかもしれないのである。
「SPERA水素」構想の最大の問題点は、需要サイドにある。どのように水素利用のコストを引き下げるかという点である。例えば水素の燃料利用を大規模に行う方法として水素発電があるが、今のところ水素発電は、石炭火力発電と比べて、かなり割高だ。しかし、石炭火力発電には、二酸化炭素を大量に排出するという弱点がある。「SPERA水素」構想は、産油国・産ガス国・産炭国でのCCSや風力発電・太陽光発電の普及促進を通じて、二酸化炭素の排出量削減に貢献する。「SPERA水素」によって水素発電を行い、二酸化炭素排出量の削減に寄与した事業者には、日本国内での石炭火力発電の新増設を認める……このような方式をとれば、「SPERA水素」の利用は拡大することだろう。
■二重三重に有意義なプロジェクト
千代田化工建設の子安オフィス・リサーチパークに出かけた3カ月前の13年の5月には、オーストラリアのビクトリア州メルボルンを訪れ、川崎重工業が事業化をめざしているCO2フリー水素チェーンの関連施設を見学する機会があった。川崎重工業は、ほかの地域でも水素チェーンの構築をめざしているが、このオーストラリアのプロジェクトは、ビクトリア州で大量に産出する褐炭を起点にするという点で、ユニークなものである。
褐炭由来のCO2フリー水素チェーンとは、図2にある通り、ビクトリア州で褐炭ガス化水素製造装置を稼働させ、現地でCCSを行うとともに、積荷基地から水素を専用の水素輸送船で日本の揚荷基地に運搬し、わが国において水素発電、水素自動車などの形で活用しようとするものである。この水素チェーンが実現すれば、CCSの本格的実施と水素利用の活発化によって、地球環境の維持に大きく貢献することになるが、効果はそれだけにとどまらない。
オーストラリアにとっては(とくに同国内のニューサウスウェールズ州やクイーンズランド州に比べて高品位炭に恵まれていないビクトリア州にとっては)、褐炭ガス化水素製造装置から副生されるアンモニアや尿素を活用して化学工業や肥料製造業を振興させることができれば、念願の褐炭(低品位炭)の有効利用を達成することができる。一方、日本にとっては、「二国間オフセット・クレジット方式」(外国において温室効果ガス排出削減に資する技術や製品・サービスの提供を行い、実現した排出削減効果の一定部分を日本の削減目標達成に組み込む仕組み)に近いやり方で、CCSに協力し国内で水素発電を行う事業者には、同時に最新鋭石炭火力発電所の新増設をある程度認めるというシステムを導入するならば、日本経済にとって最大の脅威の一つとなっている発電用燃料コストの膨脹を抑制することができる。このように褐炭由来CO2フリー水素チェーンの構築は、二重三重に有意義なプロジェクトなのである。
川崎重工業のオーストラリアでの事業提携先であるHRL社では、水分を多く含む褐炭を対象にして、総合石炭乾燥・ガス化技術(IDG)をすでに確立している。メルボルン東郊のラトローブバレーでは、オーストラリア最大の褐炭炭鉱が大規模な露天掘りを行っており、その炭鉱とコンベヤーで直結される形で南半球最大のロイ・ヤン褐炭火力発電所(A・Bプラントの合計で6基320kW)が稼働している。同じラトローブバレーには、褐炭ガス化水素製造装置のパイロットプラント建設に適した、HRL社の社有地もある。一方、メルボルン西郊のジーロング港は、パイロットプラントで製造される水素を送り出す出荷港としての準備を整えつつある。
さらに、ラトローブバレーを起点とする本格的なCCS計画である「カーボンネットプロジェクト」に取り組むオーストラリア連邦政府とビクトリア州政府は、CO2フリー水素チェーンの構築に協力的な姿勢をとっている。水素チェーンは、実現に向けて、着実に歩み始めているのだ。
もちろん、CO2フリー水素チェーンの構築には巨額の経費がかかるし、さまざまなリスクがつきまとう。解決しなければならない問題も多い。オーストラリア側では、誰がどのような形で化学工場や肥料製造工場を建設するのか。日本側では、誰がどのような形で海外でのCCSに協力し、国内で水素発電を行うのか。CO2フリー水素チェーンをビジネスモデルとして成り立たせるためには、少なくともこれらの問題を解決しなければならないだろう。
ただし、ここで忘れてはならない点は、現在のわが国におけるエネルギー・環境ビジネスの閉塞状況を打破するためには、従来の発想にとらわれない、10年先、20年先を見込んだ大胆な意思決定が何よりも求められていることである。CO2フリー水素チェーンは、そのような新基軸となる可能性を有している。今後の展開に注目したい。
今回紹介した千代田化工建設の「SPERA水素」構想も、川崎重工業のCO2フリー水素チェーン構想も、CCSなどと結びつけた水素利用の拡大を通じて、温室効果ガス排出量の削減に寄与するものである。いずれの構想も、人類の希望をかなえる有意義なものであるが、水素利用コストの低減という大きな課題を残していることも、事実である。この課題をクリアするためには、水素利用を拡大し海外で温室効果ガス排出量の削減に寄与した事業者には、日本国内での石炭火力発電の新増設を認めるような仕組み、つまり「二国間オフセット・クレジット方式」の拡張版とでも呼びうる仕組みを導入することが、一つの突破口となるだろう。その場合の事業者には、電力会社ばかりでなく、日本国内で自家発電などの形で石炭を使用している化学メーカー、製紙会社、鉄鋼メーカーなども含まれる。
これは、別の言い方をすれば、「水素」と「石炭」との結合である。「水素」で温室効果ガス排出量の削減を進め、「石炭」で燃料コストの削減を図る。この意外な組み合わせが出来上がると、日本のエネルギー戦略はより強靭なものとなる。「水素」の利用拡大、そして「水素」と「石炭」との結合は、日本のエネルギー戦略の「秘密兵器」なのである。
(一橋大学大学院商学研究科教授 橘川 武郎 平良 徹=図版作成)
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