「建築界のノーベル賞」が志向する、建築家の大切な使命とは
プレジデントオンライン / 2014年5月9日 15時15分
■被災地支援にも高い評価
坂茂のプリツカー賞受賞は、胸のすくような快事だった。ハイアット財団が”建築界のノーベル賞”を坂に与えた事実は、権力や富に依存する建築家像を大きく変えた。「社会の役に立つ」ことが建築家の大切な使命として真正面から見直されたのである。
坂は、高校卒業後、単身米国に渡り、名門クーパーユニオンの建築学科で学んだ。素材・構造・デザインの三位一体となった建築の王道を歩み、東京とパリを一週間おきに往復する。欧州最大の現代美術館、ポンピドゥー・センターの別館「ポンピドゥー・センター・メス」は坂の代表作のひとつだ。
一方で、1994年にルワンダ難民キャンプへシェルターを提供したのを皮切りに阪神淡路大震災、四川省大地震、カンタベリー地震、東日本大震災、フィリピン台風災害……と被災地にいち早く入り、仮設住宅を建ててきた。材料には厚紙の再生紙を耐火、防水加工した「紙管」や貨物用の「コンテナ」などを使う。こちらはすべてボランティアだ。王道建築と仮設建築、この車の両輪のような活動が国際的に高く評価されて受賞に至った。
じつは、2007~2009年にかけて坂はプリツカー賞の審査委員を3回務めている。賞の重さと意味を熟知する彼自身、今回の受賞をどう受けとめているのだろうか。
「今年1月末に賞のエグゼクティブ・ディレクター、マーサ・ソーンから受賞内示の電話がかかってきました。車で移動中だったのですが、彼女とは昔から親しくて、よく電話し合っていたので、最初、冗談を言っていると思いました。まったく予想してなくて、驚いた。で、正式発表まで絶対に誰にも言うな、と。それから2カ月くらい、ずうっと、みんなに、パートナーにも黙ってなくちゃいけなくて、けっこうキツかったな(笑)。
賞って怖いじゃないですか。驕ったら終わりだし、チャンスも、仕事も増える可能性が高いけど、それに飛びついて自分の時間を失くしてボランティアができなくなったら意味がない。だから、この受賞は、今までどおりに続けなさいという奨励だととらえています」
■リーズナブルな紙管のポテンシャル見出す
実際、坂が世界各地で講演をすると、「ボランティアの仲間に入れてほしい」と声をあげる若い建築家や学生がどんどん増えている。次世代がめざす建築家像は変わりつつある。
「僕らが学生のころは、スター建築家になりたい、大きなディベロッパーの仕事で巨大な建物を建てたいという人が多かったけれど、変わってきていますね。建築の社会的有用性に若い世代は目を向けている。もしも、その先駆的や役割を僕が果たせたのだとしたら、この賞はそういう人たちの励ましにもなるでしょう」
坂が紙管に着目したのは、建築の仕事が少なくて展覧会の構成ばかりしていた80年代だった。無造作に積まれた反物の芯を「もったいない」と眺めていて、「コレだ!」と閃く。厚紙の管は長さも大きさも変えられて強度もある。研究を重ねて建築の材料にした。
坂に初めて私が長いインタビューをしたのは1997年。坂は阪神淡路大震災で焼失した聖堂の代わりに「紙の教会」を、家を失ったベトナム人のために行政の規制を突破して「紙のログハウス」を公園に建てた後だった。なぜ、こんな活動をするのか、と不躾に訊ねると「建物が崩壊して人が亡くなるのを見てね、建物をつくる建築家として責任を感じた」とポツリと言った。ただ、被災地神戸でのボランティア活動は難行苦行の連続だった。心身は消耗し、どことなく「もうこりごり」と辟易しているようにも見えた。
だが、坂は、その後も被災地に寄り添い続ける……。
「もともと一般的な建築とボランティアの災害支援、両方を自分の仕事としてバランスをとりたいと考えていました。それが最近は、別々のものじゃなくて、つながってきた。唯一違う点は、設計料をもらっているか、いないかです(笑)。仮設住宅でも、お金のある人の家でも、自分自身の仕事としての満足度や取り組む情熱は、まったく変わりません。
たとえば東日本大震災後に宮城県女川町に建てた仮設住宅。平らな土地が十分にないので、コンテナを重ねて3階建てにしました。特殊な解でしたが、部屋のレイアウトや木の利用、断熱、防音など工夫しています。いま行くと、住民の皆さん、ずっと住み続けたいと言ってくれます。仮設ですからローコストです。でも手抜きの安普請にはしていません。
特権階級が財力や権力を社会に見せるために建築家が雇われて、モニュメンタルな建物はつくられてきました。それを否定するつもりはありませんが、お金のない社会的弱者の仮設でも建築家の技能は生かせると信じてやってきた。ところが、クライストチャーチで『紙のカテドラル』を完成させて、両者の境目はなくなったんです」
2011年2月のカンタベリー地震でニュージーランドの首都、クライストチャーチの大聖堂は深刻な被害を受けた。坂は現地の紙管とコンテナで三角形の断面を構成する「紙のカテドラル」を設計。13年8月に700人収容できる紙の大聖堂が出来上がった。
「ボランティアでつくったけれど、完全に街のモニュメントになりました。教会の行事だけでなく、コンサートやコミュニティ・サービス、イベントにも使われ、復興のシンボルとして旅行社のパンフレットにも載っています。仮設でもモニュメンタルな建物になるんです。現実的な話をすると、事務所のパートナーはお金の入らない仕事ばかりでヒヤヒヤしてる。スタッフの給料を払うには他のプロジェクトもしっかり遂行しなくてはいけません。全体が滞ります」
■新国立競技場コンペの舞台裏
これまで日本の建築界は、必ずしも坂を正当に評価してはこなかった。紙管を一瞥して「堅牢性のないアレが建築か」と見下す建築家もいた。狭い建築家ムラは坂を異端視することで奇妙な序列を保とうとしてきた。その建築家ムラが、2020年東京五輪に向けた「新国立競技場」の国際コンペでザハ・ハディドの巨大で複雑な形状のデザインが選ばれたことで揺れている。日本人で二人目のプリツカー賞受賞者の槇文彦が「緑豊かで歴史的文脈の濃い風致地区が損なわれる」と問題提起し、賛同した建築家約100人が計画縮小の要望書を文部科学省と東京都に提出。事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は、床面積を25%縮小し、建設費を約1800億円に抑えると発表したが、まだ判然としない。この騒動を坂はどう眺めているのだろう。
「まず、オリンピックの開催地選考で、絶対にイスタンブールにすべきだと思っていました。やはり中東、イスラム圏で最初の五輪になりますからね。イスタンブールはヨーロッパともアジアともつながっていて、素晴らしい街です。こんなに最適な場所はない。それが、まぁ東京に決まった。仲間の建築家の批判はしたくないし、ザハだってよく知っている。先日、わざわざ、『受賞おめでとう』と手紙をくれました。彼女はもともとコンテクストを考える建築家ではないし、自分なりの案を出したわけで、選んだほうの問題です。どう考えたって、あんな巨大なものを……選んだほうの問題です」
ザハは、1950年にイラクのバクダッドで生まれている。父はリベラル派の政治家で、サダム・フセインが政権を掌握した後、家族とともにバクダッドを脱出した。1972年に渡英し、ロンドンの建築学校で学ぶ。彼女はコンセプトを重視し、空想的なものを現実空間に現出させる「脱構築派」の建築家といわれる。
新国立競技場の話をしていて、坂の口から驚くような言葉が飛び出した。
「あのコンペに僕も案を出したんですよ。見事に落ちましたけど(笑)。神宮の森と競技場を溶け込ませる配慮は当然です。規模も小さくなります。それは、僕だけじゃなく、他の提案者もしています。当たり前のことなのです。
そのうえで、僕の案は、予算(当初の予定価格は1300億円)の8割ぐらい。もっと簡単にドームの開閉ができるプランです。従来の開閉式ドームは、建設にもメンテナンスにもすごくお金がかかる。一回一回の開閉が大変で、時間もかかります。そこを簡単な構造で、スピーディにできるようにしました。オリンピック用の競技場って、競技結果を公式記録とするために地面の風速は秒速何メートル以下とか、厳しい基準があるんですけど、そのコントロールもできるシステム。既存の技術で可能です。詳しく喋ると真似されちゃうので言えませんが、今度、どこかで競技場のコンペがあったら、やろうと思っています」
文科省や東京都の五輪担当者たちは、坂の発言をどう受けとめるだろうか。(文中敬称略)
→後編(http://president.jp/articles/-/12532)
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ノンフィクション作家
1959年、愛媛県生まれ。出版関連会社、ライター集団を経てノンフィクション作家となる。「人と時代」「21世紀の公と私」を共通テーマにエネルギー資源と政治、近現代史、医療、建築など分野を超えて旺盛に執筆。東京富士大学客員教授も兼務。主な著書に『気骨 経営者 土光敏夫の闘い』(平凡社)、『原発と権力』(ちくま新書)、『田中角栄の資源戦争』(草思社文庫)、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社)、『成金炎上 昭和恐慌は警告する』(日経BP社)、『放射能を背負って』(朝日新聞出版)、『国民皆保険が危ない』(平凡社新書)、『インフラの呪縛 公共事業はなぜ迷走するのか』(ちくま新書)ほか多数。
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(ノンフィクション作家 山岡 淳一郎)
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