ジョコビッチとC・ロナウドにはあって、錦織圭と日本のビジネスマンにはないもの
プレジデントオンライン / 2015年7月11日 13時15分
超一流と一流の差は何か? グランドスラムで優勝する人は、何が違うのか? 技術・体力・戦略はもちろんだが、試合会場の観衆を味方につける力や常に世界規模でものごとを考える視野の広さも求められる。それは、スポーツ選手だけでなく、ビジネスマンにもいえることに違いない。
■なぜ、ジョコビッチは人間の器が大きいのか?
私にはセルビア人の大切な友人がいる。1人は、かつてJリーグのFC東京、セレッソ大阪などの監督を務めたランコ・ポポヴィッチ(通称:ポポ)。もう1人は、清水エスパルス元監督でチームを天皇杯優勝に導いたストラヴコ・ゼムノヴィッチである。
2人とも、極めて人間的魅力を備えた人物だ。
ゼムノヴィッチには、私が翻訳をした『ジョコビッチの生まれ変わる食事』(三五館)の序文を書いていただいた。彼は、テニス世界ランキング1位で同郷のノバク・ジョコビッチの知られざる逸話をそこで紹介している。
「(かつてローマの大会で)優勝したジョコビッチは、テレビカメラの前でサインを求められました。そのとき書き加えた言葉は“Support Serbia and Bosnia”(セルビアとボスニアを支えてほしい)でした。たしかに、かつてセルビアとボスニア・ヘルツェゴビナは同じ国でした。しかし、その後、血で血を洗う悲惨な戦いを経験し、要はケンカ別れをしてしまったもう関係のない他人です。それでもジョコビッチは同じ洪水に苦しむボスニアの人たちのことも忘れていなかったのです。ここが人間ノバク・ジョコビッチの大きさだと私は思います」
この“Support Serbia and Bosnia”の精神は、かつてボスニア出身のイビチャ・オシム監督(サッカー日本代表元監督)のもとで欧州のチャンピオンズリーグに出場したポポにも間違いなく根付いている。詳細は「訳者あとがき」に記したが、だからこそ、ポポは昨年、日本と韓国のために動いたのだ(編集部注:約300人が死亡した韓国のセウォル号沈没事故後、当時セレッソ大阪監督のポポがJリーグ公式戦での喪章着用を働きかけた。これを受け、筆者は昨年、セルビアが史上最悪の洪水に襲われた時にポポの祖国のためにチャリティイベントを開催し、売上を全額セルビア大使館に寄付)。
そのポポと同じスピリットを持つのがジョコビッチだ。
2011年東日本大震災の際に、真っ先に「JAPAN」という文字が入ったソックスを履いて試合に臨み、マイアミでテニスのツアープロ選手たちを集めて日本のためのチャリティサッカーイベントを実現させた。
日本から見ればセルビアはヨーロッパのちっぽけな国であろう。ということは、セルビアにとっても日本は遠い極東の島国ではないか。
以前、私が翻訳担当をした本の書店営業に回っている時、被災地の福島県出身の店員さんと会った。そこで上記のようなジョコビッチのエピソードを話すと、こう答えた。
「被災地出身者として、本当に嬉しいです。……まだまだ、錦織選手は人間的スケールでジョコビッチには及ばないのですね」
私も同感である。無論、錦織圭が利己的な勝利主義者でなく、慈善活動にも積極的であることは承知している。ただ、母国ではない他国が災害などで苦境に陥った時、すぐに手をあげてそのサポートしようとするジョコビッチの行動力と世界規模の視野の広さ、そして慈悲深さには、心の底から感服してしまう。
■なぜ「超一流」は慈善活動をするのか
私はポルトガル人のサッカー選手、クリスティアーノ・ロナウド(以下CR7)の本の翻訳も担当したことがある。彼は、かつて「みんな、オレが美形で、金持ちで、偉大な選手だから嫉妬しているんだ」とつい本当のことを言ってしまい、一部から傲岸とされている男だが、一方で末期の小児がんに侵されたスペイン人少年の願いを聞き入れ、病室で見舞った上に代理人と共に最期まで治療費を払ったことがある。つまり、ジョコビッチとCR7の2人には異邦人にも訴えかける、ナショナリズムを超えた何かが備わっているのだ。
ジョコビッチとCR7にはもう1つ共通点がある。2人ともマルチリンガルだということだ。
ここで私が言う「マルチリンガル」とは、「3か国語以上で記者会見など公式の場で通訳者なしに話せる」程度をさしているが、CR7はポルトガル語・スペイン語・英語で会見に応じることができる。
ジョコビッチは、母国語のセルビア語に加えて英語・フランス語・イタリア語・ドイツ語も操ることができる。コーチはドイツ人のボリス・ベッカーであり、個人マネージャーはイタリア人で、自宅はフランス語圏のモナコである。ローマで優勝した際も、大観衆を前にイタリア語でそのままインタビューに応じた。一方、準優勝のフェデラーは通訳者を通じて英語で受け答えしていた。
かつてジョコビッチはフランスのTVに出演し、「ローラン・ギャロスで優勝トロフィーを掲げ、インタビューに答えたい。それがフランス語を勉強する動機になっている」と語ったことがある。
言うまでもなく、外国語は一夜漬けでできることはない。つまり、長年にわたりジョコビッチは潜在意識の次元から自分にはイタリア語が必要になる、ローマ開催の大会で優勝すると確信していた、という証ではないか。フランス語も同様である。
そして、ジョコビッチは間違いなくセルビアそのものを背負っている。‘90年代の紛争で、同国のイメージは地に墜ち、西側諸国の空爆まで受けた。だが、自分が強くなればセルビアをよく見てもらえる。そして、かつて争った仇敵をもつなげられるかもしれない。そんな意識があるからこそ、“Support Serbia and Bosnia”という言葉が出てくるのではないか。
今年、ロジャー・フェデラーがドバイでジョコビッチに勝ち、イタリアでは逆にジョコビッチが勝ったのは偶然ではない。2人は世界1位と2位なのだから、それほど実力差があるはずがない。さすがのジョコビッチもアラビア語は知らないだろうから、ドバイにおいてはその差がなかったということではないか。
もし、あなたがイタリア人なら「通訳を通じて英語で話す」王者(フェデラー)と、「わざわざイタリア語で話してくれる上に、祖国全体を背負い、しかもかつての仇敵のことも思い、その上で極東の小島の災害支援もする」王者(ジョコビッチ)と、どちらを応援するか。
考えるまでもない。
フェデラーもまた慈善活動に力を入れる偉大なマルチリンガルだが、彼と比べてさえもジョコビッチの器の大きさは歴然としている。「情けは人のためならず」とはまさにこのことで、一見テニスと関係なさそうな慈善事業や外国語学習が、めぐりめぐって会場を味方に引き付ける、流れを引き戻すことにつながるのではないか。
■グランドスラム優勝には語学力が必須
錦織の著書に「お風呂でPSヴィータちゃっぽん事件」が登場する。ということは、「ちゃっぽん」した以外の日にも日常的に愛用しているということだろう。ゲームで遊んでいたことに文句を言いたいわけではない。
勝負の世界に生きる選手でも息抜きは必要だ。ただ、同じ時間を使ってジョコビッチは確実に「フランス語で優勝スピーチの練習」をしたのかもしれない。
でなければ、全仏の舞台のローラン・ギャロスで毎回大観衆と全世界のテレビカメラを前にフランス語で応答できるはずがない。言い換えると、ジョコビッチは「わざわざフランス語を勉強してまで」全仏オープンで勝ちたいのだ。これが本物の勝利への執念である。
今年、ジョコビッチはラファエル・ナダルというローラン・ギャロス最大の関門を突破した。決勝こそ敗れたが、私はこの男が1、2年のうちに全仏優勝を果たすと確信している。
その意味で、我らが錦織圭にもさらなる外国語習得を強く勧めたい。
自宅がフロリダで、英語は自在に操れるのだから、スペイン語ならそれほど難しくない。そしてメキシコやスペイン、あるいはアルゼンチンでの大会で優勝し、スペイン語で会見に応じられるようになればさらにファンが増え、周囲からの畏敬の念が増すはずだ。無論、ローラン・ギャロス制覇に備えてフランス語でもいい。すでに、第2の外国語習得へ向け勉強を始めているかもしれないが、コミュニケーションできるレベルに達した時、錦織圭は「日本人の英雄」から「世界のアイドル」になるのだ。
私が敬愛してやまない元参議院議員・作家の故今東光大僧正は、船長として全世界を廻ってきた父上から「フレンドシップ」とは単なる「友情」ではないと教わったという。
「フレンドシップというのは、民族が違っても、兄弟のように信じ合い、愛し合い、尊敬し合う、そういう民族、国家を超えた本当の人間の付き合いが出来た時、初めて生れる友情のことだ。大和民族同士が親切にするのは当り前ではないか」(『おお反逆の青春』より)
錦織圭はともかく、一般のビジネスマンがマルチリンガルになるのは困難かもしれない。だが、例えば、バヌアツのサイクロン被災者、ネパールの地震被災者に1000円を寄付することは誰でもできるだろう。その積み重ねが、世界全体に目を向ける視野の広さ、本物の「フレンドシップ」につながるのではないか。
これまで3回にわたりジョコビッチと錦織の違いについて書いてきたが、率直に言って、以上の理由からあと数年はノバク・ジョコビッチの天下が続く、と私は見ている。だが、錦織圭が今後、人間としての器を大きくし、同時に語学力を磨き、いずれグランドスラムの決勝でジョコビッチを下して世界の頂点に立つことを心から願っている。
蛇足だが、『ジョコビッチの生まれ変わる食事』の売上1%は、版元との契約で「ランコ・ポポヴィッチ基金」としてセルビア大使館を通じ、大洪水被災者に贈らせていただくことになっている。ポポとジョコビッチの爪の垢でも煎じて飲みたいと思うのだ。(文中敬称略)
(翻訳家・著述家 タカ 大丸)
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