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あなたは「老いた親」を愛せますか?

プレジデントオンライン / 2016年2月6日 13時15分

アドラー心理学の第一人者の岸見一郎さん。

■本当に望んでいたのはどんな人生なのか

――誰もが不安を持っている親の老いと介護は重いテーマです。『老いた親を愛せますか?』(幻冬舎)という本で書かれている岸見一郎さんの体験は、やがて直面するかもしれない介護への貴重なヒントになります。

もっぱら私の母の看病体験と父の介護体験を通して、どうすればよい親子関係を築けるか、看護、介護に際してどんなことを心がければいいかを考えてきました。さらには、その体験を通して学んだことを生かして、人生といかに向き合っていけばいいかも問う必要があります。年老いた親が動けなくなり、意識をなくしてしまったときに、なお生きる意味を見出すことができるのだろうかということが最大のテーマです。

母が脳梗塞で倒れたのは49歳のとき、私は京都大学の大学院生でした。母はまだ若かったのですぐに快復するだろうと思っていたら、入院中に再発。脳神経外科のある病院に転院しましたが、肺炎を起こし、やがて意識を失ってしまいました。そのとき私は、ずっと病床に付き添っていて、「いったい、人間にとって幸福とは何か?」を問い続けたのです。これはまさに哲学のテーマで、私は学問としてずっと学んできたのですが、目の前で死んでいく母を見て改めて考えないわけにいきませんでした。

お金ではないだろう、名誉も死ぬときには役に立たない。そんなものには意味がないと知ってしまった私は、大学院に復帰しましたが、人生のレールからは大きく脱線したかのような感覚を覚えました。それまでは、いつか大学で教鞭を執るだろうと思っていたのですが、「本当に望んでいたのは、そんな人生ではない」と気づかされたのです。

――岸見さん自身も50歳のときに心筋梗塞で入院し、生死の境をさまよった経験をお持ちだとか。

何とか一命を取り留めましたが、何日も集中治療室で過ごしました。病院のベッドで身動きができなくなったときに「こんな自分に価値があるとは思えない。みんなに迷惑をかけて、仕事も失い、この先どうなるかもわからない……」と自問自答しました。それでも生き延びた経験から、人間の価値を生産性で測ってはいけないと思いました。それは何ができるとか、できないで判断してはいけないということです。

■大事なのはいまを前に向かって生きること

――そのことがやがて、父親を介護する際のありのままを受け入れるという姿勢につながるわけですね。岸見さんは、若い頃から「アドラー心理学」も研究されていますが、その成果も生かされているのでは。

私と父の関係は、良好なものではありませんでした。むしろ、険悪だったといっていいでしょう。同じ空間にいるというだけで私は緊張しました。親子関係といっても、究極は人と人の関係に変わりはありません。しかも、身内だけに他人以上にナーバスになってしまいます。アルフレッド・アドラーは「あらゆる悩みは対人関係の悩みである」といいました。実際、私が仕事でカウンセリングをしていても、対人関係以外の問題を訴える人はまずいません。人と関われば摩擦が起き、嫌われたり、憎まれたり、裏切られたりしますからね。

その際、トラウマということがいわれます。日本では、1995年1月の阪神大震災以降、頻繁に使われるようになりました。簡単にいえば、過去の辛い記憶が生きづらさの原因になっているという考え方です。私も、小さい頃に父に殴られたという記憶があり、それを引きずっていました。しかし、アドラーはトラウマを否定します。大事なのは、過去に何があったかではなく、いまを前に向かって生きていかなければならないということです。そう考えることによって、父の介護が楽になった気がします。

――実際、お父さんはどんな様子だったのでしょうか?

父は定年退職後、関連会社に勤めることになり、長く1人暮らしをしていました。ところが認知症を患い、クレジットカードの決済ができなくなったことから、2008年の秋にわが家に連れ帰りました。介護をはじめた頃は、朝していたことを夕方には忘れてしまっていることに驚きましたが、やがて、いま話したことや、していたこともあっけなく忘れてしまうようになっていったのです。と同時に、多くの認知症患者がそうであるように、自分の家族、つまり娘や私の妻も認識できなくなりました。

それを目の当たりにすると、子どもとしては戸惑うわけです。あるときは、がっかりし、理不尽な発言には怒りを覚えることすらあります。アドラー心理学では「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが大切だ」と説いています。親の介護という現実に目をつぶらない、向き合いなさいということです。介護する側は、その勇気を持たなければなりません。私も目の前にいる父と、今日この日を生きていこうと覚悟したのです。

基本的な心得としては、はじめからハードルを高くしないということでしょう。誰しも最初から十分な介護はできないので、「今日は昨日よりうまくいった」と思えればいいわけです。ときとして、つい大きな声を出してしまったときには、素直に反省できるかどうかです。そして、できなかったことではなく、できたことに満足するという肯定的発想の訓練をするといいでしょう。

■目をそむけず、自分は何ができるかを考えよ

――そうした前向きな考え方が、辛い介護を少しでも楽にするのかもしれません。岸見さんが、お父さんに対して示すやさしさは、そんなところから滲み出てくるような気がします。

大抵は霧の中にいるような父が、ときとして霧が晴れるようにはっきりとする瞬間がありました。それはまるで接触不良だったマイクがいきなりつながり、音が出たような感じです。そんなときに、父が発した言葉が忘れられません。「忘れてしまったことはしかたがない。一からやり直したい」といったのです。だったら、私もそうしようと決めました。未来もそうで、先のことを考えると不安になりますが、いま思い煩う必要はありません。もし、いまよりも大変な日が来たら、そのときに解決していけばいいわけですから……。

父は84歳で亡くなりました。病院から連絡を受け、深夜、駆けつけた私と妻が見守る中、静かに息を引き取ったのです。振り返ってみても、十分に介護できたかはわかりません。ただ、あるとき「お前がいてくれるから私は安心して眠れるのだ」といってくれたことがあります。つまり私が、そばにいるだけで親に貢献していることになります。この貢献感もアドラー心理学の特徴で、自分の価値を実感することにつながりました。

母の看病と父の介護を通じて、私が掴んだものは親からの自立です。かつては元気だった親も、いつの日が1人では生活できなくなります。ただし、それをサポートすることはできたとしても、子どもが親にできることと、できないことはあります。そのことを理解していれば、老いた親を見守っていくことは負担にはなりません。もちろん、介護を取り巻く現状には厳しいものがありますが、目をそむけず、自分に何ができるかを考えていくことが大切です。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)
1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学専攻)。現在、京都聖カタリナ高等学校看護専攻科(心理学)非常勤講師。日本アドラー心理学認定カウンセラー、日本アドラー心理学会顧問。著書に『アドラー心理学入門』『アドラー 人生を生き抜く心理学』『生きづらさからの脱却』『老いた親を愛せますか?』 などがある。共著『嫌われる勇気』はベストセラーに。

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(ジャーナリスト 岡村 繁雄)

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