受験エリートを牛耳る「サピックス」&「鉄緑会」の正体

プレジデントオンライン / 2016年3月6日 15時15分

■受験エリートの「王道」が存在する

受験シーズンまっただ中。2月から3月にかけての週刊誌は合格速報記事が目白押しとなる。

東大合格者数ランキングの上位に名を連ねる学校のほとんどは、私立もしくは国立の中高一貫校。2015年の上位を挙げれば、開成、筑波大学附属駒場、灘、麻布、駒場東邦、桜蔭、聖光学院など。

これらトップ校に入るための中学受験塾として圧倒的なシェアを誇り、ひとり勝ち状態にあるのが「サピックス小学部」だ。そしてこれらトップ校の生徒たちが大学受験のためにこぞって通うのが「鉄緑会」である。つまり、「サピックス小学部」の上位クラスの子供たちがトップ校に合格し、入学後は「鉄緑会」に入るという流れができている。

「サピックス」の名前なら聞いたことのある人も多いだろう。しかしその上位クラス出身者だけが集まるような塾「鉄緑会」については知らない人も多いかもしれない。ごく一部の超難関中高一貫校を指定校とし、東大および難関大医学部合格を絶対目標に掲げる塾である。

たとえば東大合格率ナンバーワンの筑波大学附属駒場の中学受験合格者数に占める「サピックス小学部」出身者の割合は、2015年で7割を超えている。また大学受験の最難関である東大理III(医学部)の合格者のうち6割以上が「鉄緑会」出身者で占められている。

たった2つの塾が、この国の「頭脳」を育てていると言っても過言ではない。「学歴社会」ならぬ「塾歴社会」である。その状況を私は最近『ルポ塾歴社会』(幻冬舎)に著した。

■自分が歩んだ「王道」に対する違和感

田中裕子さん(仮名)はサピックスから桜蔭に入学し、6年間鉄緑会に通い、東大文Iに合格した。文系の「王道」を歩んだ。しかし、社会人になってそれなりの経験を積んできた今、裕子さんは「王道」への疑問を感じつつあるという。

「今、私は、中央省庁に勤めています。いわゆる日本のエリートと呼ばれるような人たちに囲まれて仕事をしています。彼らのエリート意識みたいなものがやっぱり鼻につく。やたらと自分の経歴を話題にしたがるんです」

そういう自身も相当の経歴の持ち主だ。実は弁護士資格も持っている。自らが進んできた道に違和感を覚えるようになったきっかけは何か。

「実は私もかつては彼らと同質だったのだと思います。しかし、弁護士資格を得るための司法修習で沖縄に赴き、1年間過ごしたとき、自分自身がすごく楽になるのを感じたんです。それまでの私にはなんというか、自分で勝手に決めた既定路線みたいなものがあって、それに縛られていたんだと思うんです」

「本当は民事や刑事の裁判を引き受ける『町の弁護士』として働きたいと思っているのに、東大の法学部の雰囲気に流されて、『企業法務に興味があります』なんて言うものだから、嘘はすぐにバレます。就職活動で大きな挫折を味わいました。25歳まで、自分は結局何も考えてこなかったんだなあと思いました」

就職活動での挫折で、ふっきれた。既定路線を離脱して、独自路線を行こうと決めた。それで司法修習の地に沖縄を選んだ。いわゆる「エリート」が選ばない道である。しかしそこでいっしょになった人たちの生き方を見て、目からウロコが落ちた。初めて「回り道」をしてみて、視野が開けた。

■高学歴が人生の選択肢を狭めていた

「自分は勉強をがんばることで、人よりも多くの選択肢を得ていると思っていました。しかし実際には、『東大に行ったからにはあんな仕事はできない』という風潮もあって、どんどん自分の選択肢を狭めていたのです。大学受験のときには『なんとなく東大』だと思い込み、一橋大学ですら『亜流』だと思っていました。でも、沖縄で出会った人たちのほうが、よほど自由で選択肢の多い生活をしていたのです。東京に出てくるもよし、地元に残るもよし、会社勤めもいいし、漁業をやってもいい。むしろ『亜流』を選択するほうが、主体的な生き方であることに気づきました。今までの自分の人生には、何と主体性がなかったのかと思い知らされました」

「大学に入るまで塾に頼り切る生き方は、もしかしたら私から、何かを深く思考する能力を奪ったのかもしれないと思うことがあります。もともとそういうことが苦手だったのかもしれませんが、そのことに目を向けず、お山の大将になれてしまうシステムなのかもしれません。そういう生き方が向いている人も必ずいるわけですから、それが一概に悪いことだとも言えませんが」

小学生のうちは、目標の学校に入るためにどれだけの学力が必要で、そのためにどれだけの努力をしなければいけないのかなど、子供本人がわかるはずもない。塾の指導に右向け右になることはやむを得ない。しかし、それが強烈な成功体験として刻まれ、中学・高校になっても塾に頼り切りになってしまうと、主体的な学習習慣を身につける機会が奪われてしまうのかもしれない。

裕子さんが弁護士になって初めて「回り道」を経験し、そこから人生の視界が開けたのと同じように、本当の意味で秀才たちの目を開くのは「王道」ではなく「回り道」ではないかと、取材を通じて、私は感じた。

極論すれば、どんな中学・高校に通っていても、中1から高3まで鉄緑会に通い、鉄緑会の勉強だけを徹底的にこなしていれば、東大合格は間違いないと私は思う。しかしそれだけでは足りない。充実した人生を歩むためには「王道」だけでなくたくさんの「回り道」を歩む必要があるし、たくさんの「回り道」をするためにはそれに耐えられるだけの力を若いうちにつけておかなければならない。心理学用語ではそれを「レジリエンス」と言う。残念ながら塾だけでは十分には身につかない代物だ。

■現代社会に欠けている知性・教養・文化とは?

その点、幸いにも彼らの多くは「名門校」と呼ばれるような学校に通っている。名門校とは単に偏差値が高いとか、東大にたくさん入っているとか、そういう学校のことではない。目には見えない強烈な教育力を持つ学校のことである。そのような学校で身につけた「ハビトゥス(特定の集団に特有の行動・知覚・判断の様式を生み出す諸要因の集合)」は、「回り道」したときにこそその効果を発揮し、彼らの折れそうになる心を助ける。

名門校の教育力は、本当の意味で自分の人生を歩み出したときにこそ発動する。卒業して20年、30年経ったとしてもそのときが来るのをじっと待っている。まるで植物の種子が発芽のときを待つように。名門校の「ハビトゥス」については拙著『名門校とは何か?』(朝日新聞出版)を参照いただきたい。

つまり彼らは、塾と学校の2つの環境からそれぞれ次元の違う教育を授かるのである。これが名門校と称される学校に通いながら、鉄緑会のようなハイエンドな塾に通う生徒たちが享受するハイブリッドな教育だ。

もし彼らが塾だけに頼り、学校をおろそかにしたら、大切なものが欠けたまま大人になってしまう危険性がある。彼らが日本の「頭脳」になっていくのなら、それはなおさら危険なことだ。「王道」の負荷を余裕でこなしたうえで、「回り道」も味わえるというのなら、最高だ。しかし「王道」を歩むために「回り道」を犠牲にしなければならないとしたら本末転倒。そこまでして「王道」にしがみつく価値はないと私は思う。

「合格」という目的に向かってできるだけ効率的にアプローチしたいニーズに応えて存在する塾が、「回り道」を回避しようとするのは当然だ。批判される筋合いはない。しかしそのような塾が過度に社会に対する影響力を持っているのだとしたら、それは塾のせいではなく、世の中全体が「回り道」を良しとしない効率至上主義に染まってしまっているためではないか。今私たちの社会に、「回り道」「無駄」「不純物」「遊び」など円環的作用をもたらすものの価値を認める知性・教養・文化が欠けている証拠と言えるのではないだろうか。

(教育ジャーナリスト おおた としまさ=文)

(教育ジャーナリスト おおた としまさ)

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