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18歳選挙権と「政治の生々しさ」を扱えない学校教育の限界

プレジデントオンライン / 2016年6月28日 15時15分

■学校はリアリティを教えない

7月10日の参議院議員選挙で18歳選挙権が初めて適用されるということで、話題になっています。「18歳以上」には高校生も含まれ、もちろん政治になどちっとも興味のなかったという若者にも一律に選挙権は与えられるわけで、そこからいかにして政治への関心や投票への意欲を高めていくか、ということが課題だと言われたりしています。

僕は、18歳の高校生にも、自分なりに考えて選択するポテンシャルは十分すぎるほどあると思っています。ただ、今のままでは、そのための材料が不足しすぎているように感じています。

そもそも、日本のほとんどの高校では、学校や先生が具体的な政党や政治家の名前を挙げて政治情勢についてケーススタディすることが、タブーとされているようです。先生個人の政治的思想などを生徒に押しつけることになりかねないという理由だそうです。

そんな学校が教えることができるのは、議員の任期が何年かとか、衆議院と参議院の違いなど議会の制度や仕組み、つまり「システム」のことだけなのです。そこには、政治のリアリティはかけらも存在していません。

政治には、学校の教科のお勉強とは違って、客観的な1つの正解というものがありません。システムを完璧に学んだからといって、投票所で誰に投票すべきなのかが公式から導きだされるわけではないのです。

18歳選挙権のもっとも大きなテーマは、それまでは「1つの答え」が存在する世界で勉強をしてきた若者たちが、複雑な現実社会の生々しさ・泥くささの中で初めて「自分なりの選択」を迫られるということだと思います。

大人の用意した答えを探し当てるのではなく、自分なりの選択や判断をする。しかし、そのためには「興味」を持つことが必要不可欠です。興味というのは、大人が外からいろいろ言って与えられるようなものではありません。できるだけ新鮮で生々しい素材に本人が触れて、「気持ちをそそられる」ことが必要です。表面が加工された情報やパッケージ化されたものは、仮に分かりやすかったとしても、気持ちが動かされません。

さて、新たに選挙権を与えられた高校生や10代の若者たちに、果たして、誰が、どこで、どのようにすればその「生々しい素材」を提供することができるんでしょうか? 少なくとも現時点では、学校教育の現場にはその役割を果たすことが難しいようです。

■他の先進国では……

学校が教えられないのであれば、政治の話は家庭が扱えばいいんでしょうか? きっかけにはなるかもしれませんが、親の支持する政党やポリシーにしたがって投票する若者を増やすことが、18歳選挙権の目的ではなかったはずです。

実は18歳選挙権がすでにあたりまえになっている先進国の多くでは、高校などの先生が自分の支持する政党や政治家の名前を平然と口にして、政治について日常的に討論しているようです。日本では信じられないことです。

若者にとって身近な存在である学校の先生たちが、担当教科の専門性とは別に、政治についての個人的なポリシーや「好き嫌い」をはっきり表明するというのはとても大切なことだと思います。大人たちの中に、1つの答えにはまとまらない「違い」や「偏り」が存在しているということは、若者が興味をもつ重要なポイントになるはずです。

■先生同士が政治を生々しく議論する

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

もちろん、この「違い」を1人の先生だけから聞いていたのでは、情報や思想が極端になって、自分なりの選択や判断はできなくなってしまいます。

そこで僕がおすすめしたいのは、自分の学校の身近な先生による政治討論会を開催することです。それは、先生たちが機械的に立場を変えて議論するのではなく、リアルに自分が支持している政党やポリシーをちゃんと表明して、先生の年齢や性別に関係なく、自分のスタンスを明確にして生々しく討論する様子を生徒に見せるということです。

普段仲良さそうな先生が、支持政党をめぐってはさっぱり意見が違っていたり、校長先生や教頭先生、新米の先生などが立場を超えてポリシーをぶつけ合ったりする様子には、まさに政治の生々しさと面白さが詰まっていると思います。

なかには、「私は実はあんまり政治に興味がないし、期待もしていない」というような先生がいてもいい。それもまた、政治のリアリティです。

選挙に行って投票するということは、親友とまったく違う意見を持つということにもなるし、学校の教育プログラムにはなかった「好き・嫌い」に近いものを含めて国家のシステムを通じて「選択をする」という、綺麗事ではすまされない現実社会に足を踏み入れるということなのです。

実際には、今の日本の学校や先生がそのような生々しい議論を取り入れるということは、ほとんど不可能かもしれません。それならば、僕は「白票の投票」を1つの選択肢にするのがいいのではないかと思っています。白票も投票率には反映され、これまでは「支持者なし」の意思表示として用いられることが多かったようです。しかし、18歳選挙権のスタートにおいては、「支持者なし」ではなく、リアリティが足りず「まだよく分からない」という新しい意思表明になればいいのではないかと思います。

表面的な情報や「ちゃんと投票すべき」という綺麗事だけで、重要な権利をなんとなく行使してしまうくらいなら、「分からない」という立場をしっかりととる、ということのほうがよっぽど成熟した態度だと思うのです。

(慶應義塾大学特任准教授/NewYouth代表取締役 若新 雄純)

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