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我が子が「クラスで一人ぼっち」でも恐れる必要はない

プレジデントオンライン / 2016年7月28日 8時45分

■「ウチの子、クラスで浮いてませんか?」

主体的に行動し、協働できる人間。

これが今、教育の現場が子どもたちに求めている人物像です。「アクティブ・ラーニング」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、求めるところはまさにこれです。

さて、この「主体的」は、自らということですから、他に依(よ)らないことです。「協働」とは、人と関わることです。つまり、「一人で生きる力」と「他人と協力して生きる力」という、一見正反対の両面を同時に求められています。

学校現場では、そのために授業形態を工夫するなど試行錯誤しているところです。

では、親はどのような意識で、学校を見ているのでしょうか? 以下、親が学校に求めるものは何なのかを見ていきます。

【主体性を伸ばせば、「浮く」のは当たり前】

学級担任として十数年やっていると、様々な共通項が見えてきます。学年、男女、地域差、いろいろな違いがあっても、似た傾向が見られるものがあります。

例えば、家庭訪問や面談をした時、出てくる悩みや願いの傾向は同じです。

小学校低学年の男子であれば、「だらしない」「宿題をやらなくて困る」といった躾の悩み。同女子であれば、「お友達とうまく関わっているか」という人間関係の心配です。

高学年の男子であれば、「親(特に母親)の言うことにいちいち反抗して、すごい言葉づかいをする」といった悩み。同女子であれば、「女子のグループ化についての不安」(母親自身の経験によるものと思われます)です。

学年に関係なく、多い悩みは、学力に関わるものと、体力に関わるものです。ほとんどの場合、この学力・体力はどちらか一方があると、他方が欠けていて、親は欠けている方にどうしても目が行きます。

ですから、この2つについては、「下手の“心配”休むに似たり」ですので、良い方に目を向けてあげてください。正直、成長の過程(特に中学進学後)に大幅に変わります。

さらに、いつの時代も親の関心が最も高いのは、やはり「友だち関係」でしょう。周りの子どもとうまくやっているのか、溶け込めているのか、という心配です。もっと平たく言うと、「うちの子は浮いていないか」ということです。

社会が個性伸長を求めているものの、我が子が「浮く」のは困るわけです。主体性を伸ばし、個性を徹底的に伸ばせばある程度「浮く」のは当然なのですが、教室で浮くのは×なのです。

もちろん「いじめられていないか」を心配するのはよくわかります。我が子がいじめられているのであれば、当然何らかの対策をとってほしいと願うのは当たり前です。

ただ、ここで「いじめられていないか」と混同されがちなのが「一人でいないか」です。この質問を親がする場合、潜在的に期待しているのは「いつも一緒の仲良しのともだちがいること」です。

実は、ここにこそ問題が潜んでいます。

■親が貼る「一人でもいる子はダメな子」というレッテル

【一人ぼっち=ダメな子ども?】

親の心理はおそらくこうです。「一人でいる=友だちがいない=ダメな人間」。これは親として忍びないし、恥ずかしい。

この認識そのものが誤っているのですが、そこはもう潜在意識に刷り込まれているので、こちらが何かを申し上げても誤っているということにもあまり気付いてくれません。

「便所飯」という言葉をご存知でしょうか。

精神科医である和田秀樹氏が『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』で、大学生が「一人ランチ」を怖れるのは、一人ぼっちでいる自分を見られたくないからだと書いています。

だから、夕飯を自宅にて一人で食べるのはOKでも、知り合いが見ている大学構内において一人で食べるのは「恥」でありアウト。そこでどうするのかというと、トイレでランチを済ませる「便所飯」という行為に走る大学生が出てきた。

一見、実にくだらない心理ですが、バカにできません。これに似た心理を多くの親は少なからず持っていると感じるのです。「一人は恥ずかしいこと」。幼少期より大人に刷り込まれた「常識」によるものではないでしょうか。

個人的には、SNSで「いいね!」を集めたがる心理に近いと感じています。「『いいね!』がたくさんつく」=「友だちが多い」=「良いこと」という認識。つまり、これの裏側にあるのは、いいねが少ない=友だちが少ない=悪いこと、です。

果たして、この考え方はまっとうなものでしょうか。もし大人がこのような認識と価値観で生きているのだとしたら、当然、子どもにもそれがうつります。

実際のところ、子どもでも一人でいることに居心地の悪さを感じないことは多いのです。別にいつも友人にいて欲しいわけではありません。「一人でいいなんて子どもはいない」という意見も聞いたことがありますが、学校現場を見ていると、そんなこともないようです。

実を言うと、私も一人でいるのが気楽な子どもでした。「遊ぼう」と言って無視されるのは辛いことですが、基本的に一人が気楽でした。

自分が一人でいたい時は、一人がいいのです。図書室が大好きな子どもが多いのは、読書は基本的に一人の行為であり、ここなら邪魔されずに集中できるという面もありそうです。

子どもたちにとって(いや、大人にとっても)気の毒なのは、「一人でいることはダメなこと」という周りの目です。

■「一人でも平気」な子のほうが健全

【教室内個室! 生徒一人を認める環境もある】

普通、教室は公のオープンな空間であり、一人でいられるプライベートな空間はありません。しかし、子どもだって大人と同じで、一人になりたい時があるものです。

私の知り合いに、石川晋先生という、北海道の中学校国語教師がいます。著書『学校でしなやかに生きるということ』を読むと、この先生の教室には、通常ではあまり見られないものがいろいろと置いてあるようです。

その中の一つが、「しあわせのへや」です。教室を本棚やパーティションで区切り、一人きりになれる個室を作っているそうです。

例えば、生徒がキレそうになった時、「しあわせのへや」に逃げ込み、落ち着けます。一人になりたい時には、誰でも使えるようです(ただし、教員の管理職には「見えない場所はちょっと……」と苦い顔をされるそうですが)。

一人でいる。健全なことです。人間は、本来一人なのです。一人で立てる人間同士が必要に応じて助け合うというのが健全な社会です。寄りかかっているのとは違うのです。

だったら、「教室での一人」をもっと認めればいいのです。休み時間、本を読みたければ堂々と本を読めるようにすればいい。私が現在担任を受け持つクラスでは、外に遊びに行く子どもだけでなく、一人で本を読む子どもが数人教室にいるという風景もよく見られます。
この「一人が数人」というのがポイントです。

【いつでも、誰とでもゆるやかにつながれるスキル】

親は「うちの子は、休み時間一人でいる」=「うちの子だけが一人ぼっち?」=「いじめられている、嫌われている?」と考えがちです。

それは、早合点です。事実は、「一人でいる子どもが数人いる」です。

クラスに40人いるとして、39人は誰かいつも一緒の友だちがいるという状況は、通常の教室では滅多にあり得ません。最低1割はよく一人でいます。大人しい子どもがほとんどです(活発な子どもは、何だかんだで集団の遊びに入りに外に出ます)。

それぞれが相手を「仲間外れ」にしているとしたら、完全に矛盾しています。もし、それぞれが「自分だけがひとりぼっち」と寂しくなれば、互いに一緒になれるのです。

だから、互いに「外遊び行こうよ」と声をかけられたら、出ることもあります。無論、やんわり断って出ないこともありますが、それもありです。

ゆるやかに、誰とでも、必要な時にはつながれる。社会に出てからも必要な態度ではないでしょうか。

■「いつも特定の仲間と一緒」の子は逆に要注意

【「友達と一緒なら安心」は危険な考え方】

一方で、いつも特定の仲間と一緒にいるという「グループ」に属している子どもがいます。ゆるいグループならいいのですが、中には「他のグループの子と話したらハブ(村八分)」というようなものもあります(皆さん、よくご存知だとは思います)。

「友だちがいる」ことに安心する親は多いのですが、場合によってはこちらの方がより心配です。

グループ内に主従関係が作られている場合があり、いじめはこの「グループの友だち」の関係から出ることの方が圧倒的に多いものです。

「ママ友」に置き換えて考えてみてくださると、わかりやすいかもしれません。素晴らしく良い関係もあれば、そうでない関係もあると聞きます。子どもも同じです。

ですから「一人だと心配」「友だちがいると安心」と2元論的に考えず、目の前の子どもがどういう性格かを考えた上で見てあげてください。よく言うことをきく、気の利く子どもほど、相手を気遣うため、グループの強い者に支配されやすい傾向があります。

逆に、「わがままな感じ」の子どもはいじめられやすいと思われがちですが、実際は言ってもきかないという周りの認識により、命令されるようなことは少ないようです。

「仲良しの友だちがいる」ことの良さも大いに認めた上で、同時に「いろいろな友だちと遊ぶ」「一人でいても平気そう」といった面の良さも同様に認めてあげてください。

【もし、本当にいじめられていたら?】

一人でも大丈夫という例を挙げていきましたが、例外もあります。

担任や学校が、いじめがあっても見てみぬふり。子どもにそもそも関心がない。ひどい時には、担任がいじめに荷担しているという信じられないケースもあります。

この場合は、迷わず親が出るしかありません。一人でも大丈夫ではない特殊なケースです。

ただ、こういった「突出した例外」を、一般化して欲しくないというのが現場教師の切実な声です。どの職業にも、突出して例外的な人はいます。

親からは見えないかもしれませんが、教師には真面目な人が圧倒的に多く、子どものことでいつも悩んでいる人が大半です。恐らく、やり方は下手かもしれませんが、お子さんの担任も、試行錯誤しながら少しずつ学級経営のスキルを身につけているのではないでしょうか。

親と教師が、信頼関係で子どもをはさみ、個性を認めて伸び伸びと成長を見守っていきたいものです。

(国立大学附属学校 小学校教諭 松尾 英明)

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