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「上の子下の子の“格差”」を生む親の口の聞き方

プレジデントオンライン / 2016年12月10日 11時15分

■できる親がしている、上の子と下の子の格差をなくす方法

【はじめに】

「どうして、親の言うことを聞かないの?」
「こんな風に育てたはずじゃ……」
こんな言葉を子供に伝えてしまったり、思ったりしたことはありませんか?

親はしばしばこう思います。育て方の方針もそれなりに持ち、きちんと育ててきたはず。「しつこく」「何度も」「自分も子供も嫌になるぐらい」言い続けたはずだ、と。

しかし、残念ながら子供は親の言ったようには育ちません。また「上の子供はすんなりいったのに、下の子供は全く逆」というケースもよくあります。同じ育て方をしたはずなのに、なぜでしょう。単なる「運」なのでしょうか。

本当の理由は、子供が「集団の位置付け」によって成長をするからです。上の子と下の子、育つ環境は同じですが、自分自身の位置付けへの自覚が大きく異なる場合があるのです。

集団における自分自身の位置づけ、自己認識の在り方が大切であることは、2016年の大ヒットベストセラーである、中室牧子氏の著書『「学力」の経済学』でも指摘しています。本稿では現場教員の目から、学校と家庭での「子供の位置付け」について考察していきます。

【1.集団の中の位置付けで決まる自分の能力】

学校を例に見てみます。私は現在、国立大学の附属小学校に勤務しています。附属小学校のイメージ通り、テストの平均点は全体的に高めです。これには親の教育への意識が高かったり、塾に通っている子供が多かったり、さらに学校の授業でも各教科を専門に勉強している教員が教えていたりと、成績優秀の背景・理由はいくつかあります。これという1つに絞ることはできません。

私が不思議に思うのは、高い学力を誇る子供がみな自信満々かというと、そんなことはないということです。むしろ、客観的にみてかなり優秀な成績の子供であっても、「自分は勉強が苦手だ」と思っていることが少なくありません。

自分は勉強が苦手だと子供が認識するケースは他にもあります。例えば、公立校でも、またまたよく勉強ができる子の多い学級の場合、学級内の平均点は高くなります。そうすると、学年平均や全国平均くらいの点数を取っても、学級内では「平均以下」ということになります。自然と「自分は勉強が苦手な方」という認識になります。

苦手意識を持つ原因。そのひとつは、人間はどうしても身近な存在と比べてしまうということにあります。例を挙げると、自分がいわゆる「セレブ」でないなら、本気でセレブと比較しません。

自分とは直接関係のない、TVの中の遠い世界という認識です。海外のセレブの生活を見て「いいなぁ」と思うことはあっても、そこに強い劣等感は抱きません。

それよりも、隣の○○さんの家がリフォームしたとか、同僚が早く出世したとか、そういう身近な関係の人との比較の方が現実的で切実です。「うちもそろそろかな」とか、「自分もがんばらないと」とか考えます。あるいは「うちはボロ家だ」とか、「どうせ自分なんか」と劣等感を抱きます。冷静に考えれば、いかにも視野が狭く、正しい判断とは思えません。

先の学力の話に戻れば、仮に学級内では平均点以下でも全国平均程度であれば、「まあ、よくできた」と認識してしても悪くはないのです。もっとも理想的なのは、後述するように比較する対象を他者ではなく、自分にすればこのような「誤認」は起きません。

よりよい家庭教育を考える上でも、この「集団の位置付けで自己認識が決まる」という前提を押さえることが第一です。

■兄弟姉妹の比較は百害あって一利なし!

【2.個性尊重は一律比較からの脱却手段】

学校の場合、生徒間で比較を余儀なくされる場面が多々あります。
・日々のテストで測る学力。
・運動会での走る速さや力の強さ。
・音楽発表会でのピアノや歌唱の技能。
・絵を描く技能や工作の技能。
・作文力や字のうまさ。
など。

これらは、学校の側が競争をやめさせようとしても、なくなるものでありません。人間は自然に周りと比較するようにできているので、勝手に比べます。テストや通知表を友人同士で互いに比較して一喜一憂するのも、さもありなんというところでしょう。

学校はよくも悪くも、そういう場です。そこで私が強調したいのは、だからこそ、「比較をせずに自尊感情を高める」手段をとる必要がある、ということです。

近年、個性発揮の大切さが叫ばれるのも、このあたりに要因があります。

ひとつの物差し(ペーパーテストなど)によって比較できる能力よりも、様々な価値観・物差しで評価しようという動きです。ペーパーテストや競争で測れる学力を否定することなく、それ以外の価値も含めて認めていこうということです。子供の興味の対象や趣味・習い事が多様化しているというのも、画一的な比較によらない自分の世界を持つという点において望ましい傾向と言えます。

【3.兄弟姉妹の比較は百害あって一利なし】

以上を踏まえて、家庭教育を考えてみます。

子供の家庭での自分の位置付けは、どのように認識するのが望ましいのでしょうか。言うまでもなく、安易に身近な人と比較するのはマイナスです。兄弟姉妹の比較を多くの親がしてしまいがちですが、プラスの教育効果は生まれにくいです。

天秤に載せれば、一方が上がり他方が下がります。つまり、家庭内で確実に「下がる」子供が出ます。併せて「上がる」子供にもマイナスの影を落とします。傲慢さを生み出すリスクがあるのです。

家庭でそうした教育を受けた子は、外の社会である学校でも比較をしようとします。友だちと自分を比較して、格差付けをするようになります。

こうした行為によって、他人を見下したり羨ましがったり、自分を卑下したり傲慢になったりする子供が増えてしまうことがあります。やがて他人をリスペクトすることなく、乱暴に他者を批判・批評するような傲慢な大人に育ってしまうこともある。

そういう意味でも、親がついしてしまいがちな兄弟姉妹の比較による評価は、即座にやめるべきです。百害あって一利なしです。

■自尊感情を持たせるために学校が取り組むこと

【4.学校では「評価」よりもプラスの自己認識】

さて、このような過剰な比較の弊害に対してどんな対策を立てればいいでしょうか。

多くの学校では、すべての子供を比較なしに認めていく、という方針を重視しています。評価はせずに、その努力や姿を認めるのです。その際、「認識している事実をそのまま言葉にする」というのが具体的な方法になります。

テストで満点をとったら「○○君は頭がいいね」よりも「満点をとったね」です。「嬉しいね」でもいいのです。頑張った事実を知っている場合「努力が実ったね」がいいこともあります(この場合は注意が必要で、努力していない場合「節穴」と思われることがあります。普段の観察が大切です)。事実である、または事実であると認識できる言葉がけが大切です。

【5.テストの点数が思わしくなかった場合は?】

テストの点数が芳しくないような時はどう対処すればいいか。この場合は、子供の様子に応じて、前向きになれる事実を言葉にします。「もっとがんばれそうだね」「このミスは次に生かせるね」などです。特に、声をかけないこともあります。

もし、比較するなら、過去の子供自身です。それも、自分自身で比較させる方が上策です。「前と比べてどう?」と聞いて「良くなっている!」と答えられたら最高です。

■子供に劣等感を植え付けてしまう「親の言葉」

【6.家庭では子供自身に良い位置付けをさせる】

前述したように学校ではどうしても人数がいるため、比較対象が出てしまいます。一方、家庭内には比較対象が少ないです。そんな状況でも「お兄ちゃんの○○はいい成績なのに、(弟の)お前は……」という台詞を吐いてしまうのは、少しでも比較すれば奮起して伸びるという「誤認」によります。

一方、一人っ子なら、比較対象ゼロです。それにもかかわらず、比較してしまう親も実在します。どう比較するのかと言えば、親が自分の子供時代と我が子を比較するのです。

兄弟姉妹間の比較がないことをマイナスととらえているのかの如く、自分自身を比較対象とする。それによって我が子を下げる可能性が高まります。「お父さんは、小学校の時、いつもクラスで1位だった。それなのにお前は……」といった、前述と同様の台詞を吐いてしまうのは、高学歴の親に目立つようです。

また、子供を叱咤するつもりで言うのか、母親も「そんな成績なら、将来、うちのお父さんみたいになっちゃうよ」。これはもう、最悪の教育です。子供にとってのルーツである父親を下げて、健全な自尊感情が高まるはずがないのです。

家庭内での子供の位置付けは、自分自身にさせます。相対評価ではなく、絶対評価です。
「自分は大丈夫」と思えるよう自尊感情を高めていくことで、集団によらない自分の位置づけができます。比較によらない健全な自己イメージを植え付けていく必要があります。

そのためには、日常の声かけが命です。親から子供への声かけ。これが重要です。

例えば、子供がまだ小さい時、描いた絵を見せにきたら、「○○を描いたのね」「素敵」「楽しいね」など、肯定的なイメージがする声かけをしたのではないでしょうか。この場合は「上手ね」もありで、これは評価というより事実認識です(絵の出来栄えは問わず、『上手ね』ということ)。子供が描いた絵はすべて「上手」なのです。

小学生・中学生に対しては、この声かけを少し応用すればいいのです。

子供のしたこと、作ったもの、できたこと、またはできなかったことも含めて、ひとつずつを認めていくことです。受け止めるのです。すると、家庭内で評価や比較をされないと認識した子供の心は、安心し安定します。子供のすることを何でも「良い」とすることではありません。それは評価です。あくまで、認識を促します。

【おわりに】

以上述べたことは、「言うは易く行うは難し」です。とはいえ、親が知らずに無策で対応すれば、必ず感情が優先します。感情に支配されれば、家庭内の兄弟姉妹間での比較は横行し、子供たちを「すべては親の命令下」に位置付けることになります。

子供が自分自身に自信を持ち、かつ他人からも認められる。そんな子供に成長することを願うなら、家庭内での位置付けが極めて大事になります。適切な自尊感情を持ち、家族もリスペクトできる子供は、社会に出ても輝きを放ち、社内外の人々や恋人などを尊重するようになるでしょう。

子供は「育てる」より「育つ」。

子供を願う方向に「育て」たいなら、子供自身の認識を変えて、「育つ」ようにする方が賢明かもしれません。

(国立大学附属学校 小学校教諭 松尾 英明)

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