日本人にも「ネイティブ発音」は可能だ
プレジデントオンライン / 2017年2月24日 9時15分
■英語教育の一環としての音声学
【三宅義和・イーオン社長】英語音声学の専門家である、早稲田大学教授の松坂ヒロシ先生にお話をうかがいます。松坂先生はNHKのラジオ英会話や、英語リスニング入門の講師としても有名で、日本の英語発音指導の第一人者です。まず、「英語音声学」というのは、どのようなことを学ぶ学問なのでしょうか。
【松坂ヒロシ・早稲田大学教授】平たく言いますと、発音を科学的、あるいは客観的に扱う学問ということです。方法として、いくつか種類があります。口の動きを研究するやり方もあれば、発生する音波を分析する場合もあります。これを、1つひとつの言語に関して行うのが個別言語の音声学で、対象が英語なら英語音声学になります。
私が興味を持っているのは、英語教育の一環としての音声学です。教師がどうやったら能率良く発音を教えることができるか、また学習者がどうしたら発音が上達するかということ。これらの問題に取り組んでいます。
【三宅】松坂先生は戦後生まれです。最初の英語との出合いは、やはり新制の中学校からでしたか。また、大学で英語を専攻するという道を選ばれた理由をお聞かせください。
【松坂】私は、帰国生でもなければ、また外国人教師が大勢いる私立学校に行ったわけでもありません。普通の東京の公立中学校に入学して、初めて英語を習いました。そのときの教科書が『JACK and BETTY』。いまも手元にあります。
実は、私の祖母が明治生まれだったのですけれども、「英語をやるんやったら、オトをやらにゃあかん」と言いましてね。教科書に準拠したレコードを買ってくれました。聴いた英語が衝撃的でした。なにしろ「That is a table.」が「ダリザツェイボ」に聞こえるわけです。なぜ、そんな発音になるのか不思議に思ったことが、英語音に興味を持った最初ではないかと思います。
その当時、いまは横浜国立大学名誉教授の田崎清忠先生が担当されていたNHKの「テレビ英語会話」も好きで、毎回楽しみに見て、「リピートしなさい」と言われたときには、声を出して練習しました。自分の家の中なので、別に恥ずかしくもないので、大きな声でリピートしていたことを覚えています(笑)。
そうした英語への興味と関心が、結果的に英語教師になりたいという気持ちを醸成させたのだと思います。早稲田大学の教育学部英語英文学科に入学しました。そこで出会ったのが、五十嵐新次郎先生です。先生の英語音声学の授業に、もう本当に魅せられてしまったのです。
■英語は使った分だけうまくなる
【三宅】松坂先生は、学生時代にWESA(早稲田大学英語部)に所属されていたそうですね。英語教育界にはESS出身者が多い。ESAというのは初めて聞きましたが、そこではどのよう活動をされていたのですか。
【松坂】早稲田大学の特殊事情だと思いますが、大学の英語クラブとして存在していたESSのほかに、私が学んでいた教育学部の公認サークルとしてESAがありました。日本語では「英語部」と言っていますけれども、英語教師をめざす学生のために作られたサークルだったのです。
ここでスピーチとかディベートの活動をしていて、大学対抗のコンテストにも参加し、他大のESSと対戦しました。部員は、当然、勝ちたいですから、強くなるための努力をしているうちに、ESAは他の英語クラブと性格的に差がほとんどなくなっていきました。結局、いまはもう教育学部から離れて、早稲田大学の普通の公認サークルになっています。
【三宅】学生時代のエピソードとしては、松坂先生の恩師である中尾清秋先生の講義にも驚きました。とにかく、授業はすべて英語、教室の外でも教え子との会話は、やはり英語だけ。当時としては画期的だったのではないかと思うのですが、中尾先生の教授法にはどんな思いが託されていたのでしょうか。
【松坂】中尾先生はもともと鎌倉にお住まいで、父上の勧めで横浜のインターナショナルスクールに入ったそうです。そこからずっと英語で教育を受けてこられて、大学もアメリカでした。当然、本人はバイリンガル。先生の考え方は、英語は使えば使った分だけうまくなるという、ごく当たり前なもので、私もそれは正しいと思うのです。
逆の言い方をすれば、英語学習者が日本語で英語を学ぶ状況を、中尾先生は不思議な気持ちで見ておられたのでしょう。先生の考え方は、今日ではちっとも珍しいものではありませんが、その頃は賛同する教師が少なく、また同意しても実践できる先生が少ない時代でした。その意味で、中尾先生に巡り会えたのは、私にとって幸運でした。
【三宅】松坂先生もご自身のゼミは一切の活動を英語で行っていらっしゃいますね。
【松坂】私は教師として母校に就職し、中尾先生が学科主任をされていたときの早稲田大学教育学部英語英文学科に着任しました。そこで今度は、先生が上司ということになり、会議などでも、他の人は日本語なのに、私に対してはすべて英語で話しかけられました。教え子だからということとでしょうが、もう徹底していましたね。私も授業は英語ですけど、教室から出てまで英語ではありません(笑)。
【三宅】そんな松坂先生から見て、学生の英語力の変遷と言いますか、今と昔で違いを感じられますか。
【松坂】やはり、しゃべるのがうまい学生は増えてきました。それから、学生のモチベーションの点で、話せるようになりたいという学生はとても多いです。だからでしょうか、以前は学年末に授業の感想を書いてもらうと、「日本語でやってほしかった」というコメントを書く人が必ずいたものです。しかしもはや、そんなことを書く学生はいません。
うまい、へたのばらつきはありますが、英語でコミュニケーションをするという意欲は相当高くなったと感じます。それから、最近の大学生はもう気軽に海外旅行します。その際に現地で自分の話す英語が通じないという経験をしてショックを受け、これはきちんと発音を勉強しようと思うようです。
■日本人でもネイティブのように話せるが……
【三宅】そこで、日本人の発音についてうかがいます。私は非常に重要であると思っているので、率直にお聞きしますが、日本人がネイティブスピーカーのように発音することは可能なのでしょうか。
【松坂】理論的には可能です。どんな発音でも、人間が自分の口を使って音を出しているわけですから。調音器官、つまり発音のための道具が備わっていれば可能です。もっとも、特定の人の発音を真似しようとして、100%目標に達するためには膨大なエネルギーと時間がかかるでしょう。それだけの努力を発音だけに費やすことが賢明かどうかは、また別の問題です。
【三宅】それにしても、日本人はどうしても英語に対して苦手意識があるようです。なぜうまくならないのですかしょうか。
【松坂】いくつか理由はあるでしょうね。まず、日本語と英語の違いという問題があります。英語にある文法概念、例えば単数とか複数は日本の学習者にはなじみにくい。また、音声の要素、たとえば「R」や「L」などの要素をたくさん英語と共有している言語もあれば、そうでない言語もあります。日本語は後者ですから、音の使い分けがなかなかできません。
別の理由として、練習量の問題があります。スポーツにしてもそうですが、稽古しないものは、うまくなれません。日本の学習者は、英語の授業を受ける時間は少なくないかもしれませんが、その時間内に、どれだけ英語を実際に練習するかと考えると、あまり多いとは言えないと思います。
さらに評価の問題があります。日本の英語教育では、正しいか正しくないかという点が極端に重要視されていて、能率が良いかはあまり評価の対象にはなりません。外国の人と話していると、正しいけれども能率が悪いという英語は、ハンデキャップになる可能性があるとわかります。
【三宅】グローバル化の加速とともに、英語が必要不可欠になっていると思います。そうしたなかで「通じる英語」という考え方が生まれてきました。母語の影響を強く受けたアクセントやイントネーションの様々な英語、つまり「Englishes (英語たち)」でやりとりされています。これについての先生の意見を聞かせてください。
【松坂】いわゆる「Englishes (英語たち)」ですね。これを肯定的に考えて、日本人は日本的な発音でいいのだと考える人もいます。しかし、英語について「何でもあり」という極端な考え方をすることには賛成できません。たしかに、「英語はアイデンティティの表明である」と言って、日本語なまりでもOKという考え方もあり得るでしょうが、アイデンティティが表明できてもコミュニケーションに失敗したら、英語を使う意味がありません。
もちろん、ネイティブスピーカーと同じ発音を究極の目的とするのも極端すぎると思います。ネイティブスピーカーの英語には、3つの問題があります。1つは、スピード。あの速さのためによく聞き取れないという外国人は少なくないはずです。2つ目には、音のくずれ。例えば「I am going to」が「I'm gonna」になる。さらに進むと「アイマナ」という発音になります。これでは大半の人が理解できません。3つ目の問題は、極端な地域性です。ネイティブスピーカーの発音にはさまざまなものがあり、そのエリア以外ではわかりにくいものもあります。こういう問題まで含めてそのままネイティブを真似することは感心しません。私は、基本的に伝統的な規範とされてきたネイティブスピーカーの発音をベースにしながらも、世界の多くの人々が理解できるクリアな発音が理想だと考えます。
(イーオン代表取締役社長 三宅 義和 岡村繁雄=構成 澁谷高晴=撮影)
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